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8月31日(水) 秋の特別講習

ポタラ・カレッジ東京センターと大阪教室で、10月と11月に特別講習を実施します。

1.秋の特別講習「忿怒金剛手の成就法
ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師による「ダクポ・スムディル(忿怒金剛手)」許可灌頂(8月15日の記事参照)の受者を主な対象に、本尊の成就法を分かりやすく解説します。許可灌頂を受けたうえで、成就法を修行して真言を念誦することにより、諸々の障礙を除くなどの御利益も成就しやすくなるはずです。
 講師:ガワン・ウースン
 日時:10月16日(日)午後1時~6時
 会場:ポタラ・カレッジ東京センター
 受講資格:原則として、金剛手の許可灌頂を受けている方に限ります。

2.大阪特別講習「秘密集会の概要
ダライ・ラマ法王猊下による「秘密集会(グヒヤサマージャ)」大灌頂が大阪で11月に厳修されることを考慮し、ポタラ・カレッジ大阪教室で「秘密集会」の概要を紹介する特別講習を実施します。仏教全体に於ける「秘密集会」の位置づけや特徴、大灌頂を受法する際の心構えなどについて、平易に説明します。
なお、ポタラ・カレッジ東京センターでも、来年の春に高僧をお招きして「秘密集会」大灌頂を実施する予定なので、法王猊下の大灌頂に参加なさらない方でも、この特別講習の内容は役にたつと思われます。
 講師:クンチョック・シタル
 日時:10月22日(土)午後1時~5時
 会場:應典院(おうてんいん); 大阪市天王寺区寺町1-1-27 地図
 受講資格:どなたでも御参加いただけます。

3.晩秋の特別講習「無上瑜伽タントラの概要
ダライ・ラマ法王猊下による「秘密集会(グヒヤサマージャ)」大灌頂が大阪で11月に厳修されること、及びポタラ・カレッジでも来春に高僧をお招きして「秘密集会」大灌頂を実施する予定であることを念頭に置き、「秘密集会」をはじめとする無上瑜伽(アヌッタラヨーガ)タントラの概要を分かりやすく解説し、日常生活の中で高度な密教を修行する意味と手順を明らかにします。
 講師:齋藤保高
 日時:11月3日(木・祝)午前11時~午後5時(途中、1時間の昼休み。
 会場:ポタラ・カレッジ東京センター
 受講資格:どなたでも御参加いただけます。

お問合せ・お申込は、TEL.03-3251-4090、info@potala.jpまで。
こちらでも、お申し込みできます。

8月25日(木) 秋の集中講座

ポタラ・カレッジ東京センターで、9月と10月に集中講座を実施します。

1.初秋の集中講座「ナーロー六法Ⅲ
宗祖ツォンカパ大師の『甚深道ナーロー六法教導次第・三信具足』をダライ・ラマ十四世法王が伝授した際の講伝録をもとに、チャンダリー、幻身、光明、ポワ、トンジュク、中有という六種の秘訣について考察します。「チャクラサンヴァラ」大灌頂受者には、特にお奨めの内容です。
テキストの表紙や目次の画像に、その部分の和訳を付けたものを、こちらで御覧になれます。今回は、いよいよ本題の「究竟次第」に入ります。2日間では完結しないため、これからも継続して実施する予定です。これまでⅠとⅡを受けていない方でも、受講資格を満たしていれば、今回から参加できます。
 講師:ゲシェー・ソナム・ギャルツェン
 日時:9月19日(月・祝)・22日(木・祝) 両日とも午後1時~6時
 受講資格:無上瑜伽タントラ大灌頂受法者限定

2.秋季集中講座「チベット語法話の聞き取り
ダライ・ラマ法王猊下の御法話の音声を教材とし、そのフレーズを文法的に解説して、ヒアリングの練習をします。仏教用語や法話での言い回しに慣れ、ラマの説法を聞き取れるようになることを目指します。チベット文字を読めるなど、チベット語の基礎知識があることを前提に授業を進めます。
4月に実施した春季集中講座「チベット語文法と法話の聞き取り」とは、内容が異なります。また、4月に受講していることを前提にした続きの内容でもないから、初めて参加なさっても大丈夫です。今回は、聞き取りを中心にし、文法的な説明も全てそれに関連づけて行ないます。
 講師:ガワン・ウースン
 日時:10月9日(日)・10日(月・祝) 両日とも午前11時~午後5時
 受講資格:チベット語の基礎知識がある方向け

お問合せ・お申込は、TEL.03-3251-4090、info@potala.jpまで。
こちらでも、お申し込みできます。

8月24日(水) 「サンガジャパン」特集チベット仏教

上座部仏教系の出版社サンガから、異色のチベット仏教特集号が、8月末に刊行されます。
『サンガ・ジャパン』Vol.24 「特集チベット仏教」
私自身も、「ゲルク派概説」、及び「ラムリムとガクリム」という二つの記事を執筆させていただきました。
それとは別に、ポタラ・カレッジへの取材記事もあり、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師や私へのインタビューも掲載されています。
監修の永沢哲先生(京都文教大学 准教授)は、1980年代後半、ニンマ派の高僧ニチャン・リンポチェ師のもとでチベット仏教を一緒に学んだ仲間です。そんな御縁もあり、今回の企画にあたっては、ゲルク派関連の数多くのテーマを執筆するよう、お声をかけていただきました。けれども、自分の浅学非才と怠惰のせいで、あまり御期待に添うことはできず、上記の二項目のみ担当することになったわけです。
永沢さんならではの着眼点に基づく構成と、テーラヴァーダ仏教に詳しいスタッフによる編集が相俟って、数あるチベツト仏教概説書とは一味も二味も異なる、とてもユニークな内容になっているのではないかと思います。自分もまだ、関与した箇所以外は全然読んでいませんから、出来あがった本を手にするのが楽しみです。
詳しくは、出版社のサイトを御参照ください。
http://www.samgha-ec.com/SHOP/300620.html

8月15日(月) ゲシェー・ソナム師による許可灌頂成満

ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師

ポタラ・カレッジ東京センターで、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師による許可灌頂(ジェーナン)を、初めて実施しました。
8月11日(木・祝)に「ダクポ・スムディル(忿怒金剛手)」、13日(土)に「獅子吼観自在」、14日(日)に「白文殊」ということで、三部上首(リクスム・ゴンポ)の許可灌頂を順に授ける内容です。金剛手は諸仏の威力、観自在は諸仏の大悲、文殊は諸仏の智慧を、それぞれ体現する本尊とされています。
今回は初めてのことでもあり、「あまり大袈裟にしたくない」というゲシェー・ソナム師自身の希望により、ポタラ・カレッジ会員・受講者への文書による御案内のみとし、インターネットには一切情報を流しませんでした。昨日全て無事に成満したので、本人の承諾を得て、ここに事後報告させていただきます。
受者の方々もお感じになったと思いますが、ラマが直接日本語で説明しながら灌頂を授けるというのは、とても分かりやすく素晴らしいものでした。日本国内に於けるチベット仏教の灌頂の、新しいスタイルを確立できたと言えるのではないでしょうか。
今後は、インドの亡命チベット人社会から招聘する高僧による灌頂とともに、ゲシェー・ソナム師による日本語での灌頂も、積極的に実施してゆきたいと考えております。
参加者の皆様には、随喜とともに、改めて篤く御礼を申し上げます。また、会場の準備、トルマや諸供物の用意、配付資料や授与する御影の作成、当日の法儀の補佐など、会員のボランティアによる献身的な御奉仕のお蔭で、全ての行事を無事に終えることができました。心より感謝を捧げたいと思います。

7月22日(金) 勝義諦と世俗諦

6月23日の記事で四諦について触れたので、今度は少し二諦について書いてみましょう。といっても、きょうのところは、幾つかの問題提起をするぐらいです。
まず、二諦とは何かといえば、勝義諦と世俗諦です。ここでいう諦とは、一応「真実」という意味になります。
さて、一口に二諦といっても、インド仏教の四学派によって、その意味内容は大きく異なります。説一切有部の場合、世俗諦とは、物理的に破壊されたりすると「それ」だと認識できなくなるものを指します。例えば、瓶をハンマーで叩いて壊してしまえば「瓶」だと認識できないから、瓶は世俗諦ということになります。一方勝義諦とは、そのようではないものを指します。例えば、部分を有さない最小単位の物質などです。

しかし今回は、そうした各学派の二諦論を紹介するのではなく、中観派の見解に基づいて話を進めてみましょう。中観派の中でも、自立論証派と帰謬論証派とでは解釈が微妙に異なるのですが、大雑把にまとめていうと、二諦の意味は次のように設定されます。
世俗諦とは、日常の正しい智慧(言説の量)によって認識されるものです。
勝義諦とは、実体の追求に専念している正しい智慧(正理知の量)によって認識されるものです。
ここでいう実体とは、5月26日の記事で触れたように、「それをそれたらしめている本質的なものがそれ自体の側にある」と凡夫が日頃自然に思い込んでいる、その思い込みが向かっている先に措定されるものです。
例えば、いま目の前に瓶があるとして、その瓶の勝義諦は、「瓶の空性」ということになります。なぜなら、正理知の量によって瓶の実体を徹底的に追求しても、「これだ」と掴めるものは何も見いだせないからです。さてここで、「正理知の量は、実体の追求に専念する」という点を、いま一度よく想起してみてください。既に止観の止を成就して完璧な集中力を有する、そのような深い三昧に入りつつ、正理知の量が実体の追求にひたすら専念している・・・という状況を、ありありと想像してみてください。この正理知の量は、一体どのような世界を見ているでしょうか? 「ああ本当に何も無いのだ」という、虚空の無限の広がりを体験するような感覚になっているはずです(もちろんこのとき、瓶そのものは存在します。しかしそれは、瓶の実体ではないから、正理知の量は完全にスルーして知覚しません)。正理知の量が認識した「虚空の広がりの如く何も無い」という、そのありさまが、勝義諦の意味内容とされる空性にほかなりません。
瓶は物質的なもの、つまり色薀の範疇に属します。なので、いま瓶の勝義諦について説明してきたようなことは、『般若心経』の「色即是空(色は空である)」という経文に相当するといえるでしょう。

さて、そうした正理知の量の深い三昧から立ち上がり、日常の感覚、つまり言説の量で目の前を見たとき、瓶の存在が認識されるはずです。従って、瓶の世俗諦は「瓶」ということになります。
このように、正理知の量では「瓶の空性」としてしか認識されなかったものも、その三昧から日常の感覚へ戻り、言説の量で見ると「瓶」として認識されるわけです。このことは、『般若心経』の「空即是色(〔色の〕空性は色である)」という経文に相当するといえるでしょう。
こうした二諦論は、中観派の見解を正しく理解するうえで最も重要な鍵だと、私は強く思っています。勝義諦は「正理知の量によって得られるもの」、世俗諦は「言説の量によって得られるもの」という二諦の意味(厳密な定義は、論理学的な隙をなくすため、もう少し複雑な表現になります)を初めて学んだとき、私は本当に目から鱗が落ちる思いでした。二諦の枠組みをきちんと整理できなければ、様々なものごとが「有る」とか「無い」とか議論しても、まったく無意味な言葉の遊びになってしまいます。

ところで、二諦の中でも特に世俗諦については、「世俗」という言葉の感覚に引き摺られて誤解してしまわないよう、気をつける必要があります。「勝義諦と世俗諦」という対比は、決して「聖なるものと俗なるもの」の対比ではありません。たしかに「世俗」の語義解釈には、無明や世間と結びつけた説明もあります。しかしそれは、語源解釈として、世俗のそうした側面に着目した説明にすぎません。世俗諦に属するものごとだからといって、それが全て俗なるものだということには、決してなりません。
さきほど例に用いた「瓶」は、いかなる存在に置き換えることもできます。ならば、「瓶」を「仏陀」に置き換えてみましょう。そうすると、仏陀の勝義諦は「仏陀の空性」、仏陀の世俗諦は「仏陀」ということになります。この点からも、「世俗諦=俗なるもの」という解釈がいかに間違っているか、よく分かると思います。
そこで次に、「瓶」を「衆生」に置き換えてみましょう。そうすると、衆生の勝義諦は「衆生の空性」、衆生の世俗諦は「衆生」ということになります。この場合、世俗諦は大方「俗なるもの」でしょうけれど、「衆生が衆生として成立するのは、世俗諦に於てだ」という点に着目しなければなりません。「仏陀の空性」も「衆生の空性」も、虚空と虚空が一味である如く、区別はありません。なので、仏陀が仏陀として成立し、衆生が衆生として成立するのは、世俗諦に於てしかないということです。
ここで何を言いたいのかといえば、仏教に於ける最も大切な価値感、つまり帰依の対象である仏陀や、慈悲の対象である衆生など、それらは全て世俗諦として成立しているということです。「勝義諦こそが究極の真実だから、世俗諦を捨てて勝義諦を追求すべきだ」などという考え方は、あまりにも一面的すぎます。二諦の中でも世俗諦の重要性を強調する姿勢こそ、まさに宗祖ツォンカパ大師のお立場だといえるでしょう。それも、ただ単に世俗諦を大事にするというよりも、「色即是空、空即是色」と観じて、その「空即是色」たる世俗諦を本当に尊重することだと思います。

最後にもう一つ、密教の話をしてみましょう。無上瑜伽タントラの文脈では、勝義諦が光明、世俗諦が幻身ということになります。「ちょっと唐突な展開では?」と思う方も、いらっしゃるかもしれませんね。しかし、この無上瑜伽タントラの二諦の設定は、例えば説一切有部と中観派の二諦論が全く別物であるのとは大きく異なり、中観派の二諦論のうえに無上瑜伽タントラ独特の要素を付け加えたものです。
それゆえ、中観派の二諦論に於ける世俗諦の重要性を納得できないと、幻身の意味や重要性もなかなか腑に落ちないことになってしまいます。そうすると、幻身という視点から「グヒヤサマージャ(秘密集会)」聖者流を最重要視し、それに合わせて無上瑜伽タントラの各流儀を解釈するというツォンカパ大師の密教教学の要点も、全然見えてこないことになってしまいます。

7月19日(火) ザムリン・チサン

本日はチベット暦の5月15日、この世界の護法善神にお香を供養する「ザムリン・チサン」の日です。チベットの伝統では、屋外の大自然の中で香木などを焚き、お経を誦えます。
ポタラ・カレッジでも、毎年恒例となっていますが、埼玉県飯能市にある真言宗智山派清泰寺の裏山で、ザムリン・チサンを修法させていただきました。市街地を一望できる、眺めの良い場所です。
参加者の皆様、お疲れ様でした! チベットに関心のある地元の方々も御参加くださり、とてもよかったと思います。
清泰寺住職御夫妻の御厚意に、心より感謝いたします。

7月 8日(金) 夏季集中講座「現観荘厳論七十義」

ポタラ・カレッジ東京センター、夏季集中講座「現観荘厳論七十義の解説」のお知らせです。
弥勒菩薩が「般若経」の隠れた意味を修道論として説き明かした『現観荘厳論』は、チベット仏教の僧院教育で徹底的に学修される中心課題の一つです。この教えの膨大な内容を簡潔に整理した枠組みが「七十義」で、それらをさらにまとめると「八現観」になります。
『現観荘厳論』を詳細に学ぶには長年の努力が必要ですが、「七十義」によって要点を知るだけでも、実践修行の裏づけとして大変役にたつはずです。『現観荘厳論』のエッセンスを、二日間で集中して学べるチャンスです!
 講師:クンチョック・シタル(本会副会長・主任講師
 日時:8月6日(土)・7日(日)午前11時〜午後5時まで(途中1時間の昼休み
 参加資格:どなたでも受講できます。
お問合せ・お申込みは、TEL.03-3251-4090、info@potala.jpまで。

6月23日(木) 本覚思想と四聖諦

6月17日の続きというか、関連する話題です。
今回の話には、「今の自分が認識・体験している世界が全てではない。自分自身の心のレベルが変われば、認識・体験する世界も一変する」という前提が絶対必要です。この前提を受け入れると、仏教の宗教的な真価を存分に享受できます。そうでないと、仏教の教理や実践も、世間的な人生訓や道徳と大差ないものになってしまうでしょう。なのでこの前提は、仏教の修行者にとって、非常に大事な考え方です。これを確信できないと、密教の修行は全然成立しません。

さて、17日の記事では仏性(如来蔵)について触れましたが、もっと極端なことを言うならば、この話は本覚思想にゆきあたります。
本覚とは、私のような煩悩にまみれた凡夫も含め、衆生は悉く本来から仏陀である。私たちのこの世界そのものが、本当は仏国土である・・・という意味です。しかしこれは、非常に重大な誤解を招く言い方です。
一番最初に強調しておかなければいけないのは、そのような本覚ということは、仏陀の心のレベルから見た場合にのみ実際に成立する・・・という点です。
密教の曼荼羅も、本来の意味は、そうした「仏陀の智慧から御覧になった世界」です。こうした点については、「曼荼羅とは何か」や「密教と本覚思想」のページで説明してありますから、お目を通していただければ幸いです。

そこで今回は、それらのページとの重複をなるべく避け、少し具体的な話をしたいと思います。
「衆生は悉く仏陀である。この世界そのものが仏国土だ」というのが仏陀の智慧から御覧になった世界観ならば、本当はそれが一番正しいはずです。なぜなら、私が「自分は凡夫である。ここは汚れた苦しみの世界だ」と認識している心よりも、仏陀の智慧の方が遙かに正しいからです。ここまでは真実です。
しかし問題は、そうした真実に気づくことさえできれば、それで全て解決する・・・という考え方です。これは、完全に間違っています。気づくことができれば、多少の安心を得られるかもしれないけれど、それだけでは何ひとつ根本的に解決しません。
「衆生は悉く仏陀である。この世界そのものが仏国土である」というならば、例えばシリア内戦で無差別の殺戮を繰り返しているテロリストたちも仏陀だし、虐殺された死体が山積みされている廃墟も仏国土だということになります。「気づくことさえできれば・・」式の物言いをする人たちは、なすすべもない弱者としてそういう状況に身を置いたときのことを、ありありと想像してみるべきです。
しかし一方、前に述べたとおり、そうしたこの世の地獄みたいな状況であっても、仏陀の智慧から御覧になれば清浄な仏国土なのです。仏陀御自身にとっては、何の問題もない世界です。
だとすると、こういう疑問が湧いて来ませんか? 「人々がこんなに苦しんでいるのに、仏陀はそれを御存じないのだろうか? もし、御存じなのに清浄な仏国土として享受なさっているとしたら、なんて冷淡なのだろうか?」と・・。
仏陀は一切智だから、御存じないはずありません。では、御自身が清浄な仏国土として体験なさっているのに、一体どうやって衆生の苦しみを知るのかといえば、「衆生の煩悩の心の面では、苦しみとして体験せざるを得ない」という因果関係を全て完全にお見通しになっているのです。
仏陀には無限の慈悲がありますから、衆生の苦しみを冷淡に無視することなど決してあり得ません。そこで、衆生をお救いになるために巧みな方便を様々に巡らすわけですが、しかし究極的な救済は、真実の教えを説き明かして衆生を導く以外にありません。つまり、私たちが仏陀の教えどおり修行し、その結果で自分自身の心のレベルが向上してゆくとき、問題は初めて根本的な解決へ向かうということです。
そのようなわけで、私たちを導く教えの大枠を提示するため、お釈迦様は最初に四諦をお説きになったのです。「これは苦である。苦を完全に知るべきだ」という仏陀のお言葉の重みを、私たちはこうして再認識する必要があると思います。四諦については、「何のために空を覚るのか」というページに簡単な説明がありますから、併せて御参照ください。

6月17日(金) 発菩提心への確信

6月7日の記事の続きです。
私自身のような低いレベルの修行者が、少しばかり「作為的な菩提心」を修練できたとしても、それを正真正銘の「非作為的な菩提心」へ高めていくのは、決して容易なことではありません。しかし、修練を重ねてゆけば、いつか必ず本物の菩提心を発することができるはず。この点を強く確信することは、非常に大切である・・・という話でしたね。

さて、なぜそのように確信できるのかといえば、教理的には、仏性(如来蔵)が一番の根拠となります。仏性とは、未来に仏陀の境地を得ることができる可能性のことです。中観派の見解によれば、仏性の正体は、心の空性だといいます。だからこそ、あらゆる衆生に仏性が具わっていることになります。なぜなら、一切衆生の心は空だからです。『般若心経』にも、「受想行識、亦復如是(心の様々な働きや心そのものも、物質と同様に空である)」と説かれていますね。私の心が空ならば、「煩悩にまみれた心」という現在の在り方は、絶対的なものではありません。絶対的なものでなければ、修行によって自分の心を向上させ、諸々の煩悩やその悪影響を完全に断滅し、いつか完全無欠な仏陀の智慧を獲得することも可能なはずです。
仏陀の境地を実現するためには、六波羅蜜の修行を積む必要があり、その出発点は世俗菩提心ということになります。「自分には仏性が有るから、いつか必ず仏陀の境地を得られる」というならば、仏陀の境地を得るために必須である非作為的な世俗菩提心は、必ず発することができるわけです。これは当然の道理ですね。

そうは言っても、仏性ということだけなら、例えば小さな虫にさえ有ります。虫だって、一切衆生の中に入りますからね。菩提心を起こせる根拠を、そういうあまりにもスケールの巾広すぎる話にしか見出せないとなると、また少し心許なくなりませんか(笑)。
そこで次には、「仏性が活性化した状態」ということを考慮すべきです。これは、今の私たちが手中にしている「仏教を学び修行できる境遇」です。専門用語では、有暇具足といいます。有暇具足を得なければ、仏性は潜在状態で眠っているようなものです。
地獄・餓鬼・畜生の三悪趣の境遇だと、有暇具足を得られる可能性はほとんどありません。いま私たちが、人間として生まれ、大乗仏教の教えと出会い、それを受け入れて実践しようとしていることは、甚だ得難く貴重な有暇具足なのです。
「三悪趣の衆生が、いつか人間として生まれて、有暇具足を手中にすること」と、「有暇具足を得た修行者が、いつか仏陀の境地へ到達すること」の両者を比べるならば、前者の方が遙かに難しいといいます。いま既に、私たちは前者を実現しています。自分が既に実現できている前者より容易な後者の、それも一部の課程にすぎない発菩提心を、自分ができないことなどあり得ますか? できると思う方が、ずっと自然ですよね。

しかしまた、私自身の在り方を正直に直視するならば、いくら作為的な菩提心を修練しても、なかなか非作為的な菩提心を発することはできないという現実があります。でも、それで落胆してはいけません。最初はできないのが当たり前です。だからこそ、強い確信をもって修練を繰り返す必要があるのです。
私たちは、「いろいろと準備を重ね、本番で間違いなく成功させる」という発想に、学校や仕事などで慣らされ過ぎています。そして、もし本番でうまくゆかなければ、「失敗だった」と思って落胆したりしますよね。この発想は、日常生活ではある程度仕方がないでしょうけれど、仏教の修行の場面では絶対にダメです。修行のときは、こういうメンタリティを、綺麗サッパリ捨て去りましょう。
仏教の修行は、たとえ方法が正しくても、上手くゆかないことの連続です。でも、方法が正しければ、上手くゆかないことの反復自体が、いずれ成功をもたらします。「上手くゆかず失敗だったけれど、それで教訓を得られる」という意味ではありません。
分かりやすい例をあげてみましょう。無上瑜伽タントラの究竟次第に、金剛念誦という修行があります。微細な風を誘導し、チャクラの結び目を通すようにイメージします。でも実際には、チャクラの結び目は堅固だから、風を通すことはできません。でも、これは失敗ではありません。落胆してはダメです。何度も何度も繰り返しているうちに、いつか結び目が弛緩し、風が通るようになるのです。解説書では、「竹筒の節を木の棒で繰り返し突くと、そのうちに貫通するようなもの」という比喩を使って説明しています。こういう事例は、仏教の修行の中にたくさんあります。
作為的な菩提心の修練を繰り返し、いずれ非作為的な菩提心を発するというのも、これと同じ仕組みです。上手くゆかないのは、失敗ではありません。方法が間違っていなければ、上手くゆかないことの繰り返し自体が、いずれ本物の発菩提心をもたらします。だから、喜び勇んで修練を続けるべきなのです。
「そういう根気のいる修行は、今日のような堕落した時代だと難しいのではないか」という心配もあるかもしれませんが、それは杞憂にすぎません。7日の記事で言及した「ロジョン」という心の訓練には、様々な悪条件を修行の道へ転化させる秘訣が説かれています。また無上瑜伽タントラも、堕落した時代にこそ益々力を発揮する修行法です。チベット仏教には、そのような優れた力強い手段が豊富に揃っているので、私たちは余計な心配に惑わされることなく、自信をもって修行に精進すべきだと思います。精進とは、喜び勇んで善行に努力することです。だから、希望をもって楽しく修行しましょう!

6月15日(水) 夏季特別講習「文殊菩薩の成就法」

ポタラ・カレッジ東京センター、夏季特別講習「文殊菩薩の礼賛と成就法」のお知らせです。
5月のダライ・ラマ法王来日御法話で授けられた文殊菩薩の許可灌頂に合わせ、文殊菩薩の礼賛偈「カンロマ」を解説し、それを念誦して文殊菩薩を瞑想する成就法のやり方についても説明します(カンロマ」のチベット文、読み方、和訳はこちらです)。
 講師:クンチョック・シタル
 日時:7月18日(月・祝)午前11時~午後5時まで(途中1時間の昼休み
 参加資格:文殊菩薩の灌頂・許可灌頂を受けていれば一番望ましいですが、そうでなくても四部タントラいずれかの灌頂・許可灌頂を受けていれば受講できます。
お問合せ・お申込みは、TEL.03-3251-4090、info@potala.jpまで。

6月11日(土) ダライ・ラマ法王御誕生日法要

7月6日(水)は、ダライ・ラマ十四世法王テンジン・ギャツォ猊下81歳の御誕生日です。
ポタラ・カレッジでは、法王の御誕生日をお祝いして御長寿を祈願するため、当日の午後7時45分から9時15分頃まで東京センターで法要を厳修します。
この法要では、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師を導師に、「観音菩薩のグルヨーガ」や「ダライ・ラマ法王の長寿祈願」などを全員で読誦します。
どなたでも御参加いただけますので、御都合がつけば是非いらっしゃってください(参加無料、予約不要)。
◎ 『チベット密教瞑想入門』または「観音菩薩グルヨーガ」プリントをお持ちの方は、御持参ください。
※ 当日の定期講習「チャクラサンヴァラ成就法」は、午後7時30分までの授業となります。

6月 7日(火) 菩提心の分類 

前回の記事の続きで、今日は菩提心の種類についてお話ししましょう。

まず、世俗菩提心と勝義菩提心。
世俗菩提心とは、「一切衆生を救済するために仏陀の境地を目指す」という心です。つまり、普通に「菩提心」と言った場合は、この世俗菩提心のことを指します。正真正銘の世俗菩提心を発したら、その修行者は凡夫の菩薩となります。換言すれば、大乗の資糧道へ入るということです。
勝義菩提心とは、そうした世俗菩提心をもとに修行して得たところの、空性を直観的に覚る智慧です。勝義菩提心を得てからは、聖者の菩薩となります。換言すれば、大乗の見道へ入るということです。声聞や縁覚の聖者にも、空性を直観的に覚る智慧はありますが、それは勝義菩提心とは言いません。菩薩が空性を概念的に理解する智慧は、勝義菩提心に準じるものと言えるでしょう。

次に、発願心と発趣心。これは、世俗菩提心の分類です。
発願心とは、「一切衆生を救済するために仏陀の境地を得よう」と誓願する志です。この発願心には、「一切衆生を救済しよう」という利他の側面と、「そのために自分が仏陀の境地を得よう」という自利の側面があります。究極的な目的は利他ですが、それを実現するためには自利が欠かせないという関係です。
発趣心とは、「仏陀の境地を得るために必要な修行を実践しよう」と行動を起こす心です。そのような菩薩の修行は、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若の六波羅蜜に集約されます。発趣心を確立する第一歩は、菩薩戒を受持することだとされています。
発願心がなければ正しい目標が確立されないし、発趣心がなければその目標はいつまでも実現しません。

最後に、作為的菩提心と非作為的菩提心。これは、世俗菩提心を発する段階として、便宜的に設定された分類です。
非作為的な菩提心とは、正真正銘の世俗菩提心のことです。しかし普通だと、それをいきなり発するのは甚だ困難だから、先に作為的な菩提心を修練する必要があります。
作為的な菩提心とは、聞・思・修を通じて人為的に作り出した菩提心です。作為的な菩提心の修練は、まず菩提心についてよく学んで知り、深く考察して十分に納得し、「自分もそのような菩提心を発したい」という憧れの気持ちを起こすことから始まります。『入菩薩行論』などの教えを学ぶことは、そのための素晴らしい方法といえるでしょう。
それから、5月5日に紹介した「自他の平等と置き換え」や、或は「因果の七秘訣」などの方法に従って修習を繰り返し、瞑想の中で菩提心を作りあげます。自己愛着を利他心へ転換してゆく「ロジョン」という心の訓練の秘訣なども、このプロセスを助ける有力な手段となります。
それから、こうして作りあげた菩提心を、行住座臥に維持できるようにしてゆきます。しかしそれは、とても大変です。私のような低いレベルの修行者だと、瞑想の中で菩提心を確立したつもりでも、実生活の場では強烈な自己愛着が息を吹き返し、慈悲や菩提心などを木っ端微塵に打ち砕いてしまいます。けれど、ここで落胆してしまってはいけません。作為的な菩提心の修練を重ねてゆけば、どんなに困難であっても、少しづつ行住坐臥に維持できるようになり、やがて非作為的な本物の菩提心が輝き始めるはずです。
これを何度も試行錯誤する場面では、「自分には必ずできる」という強い信念が欠かせません。仏教の修行には様々な「信じること」が必要とされますが、それらの中でも、この場面に於ける信念ほど重要なものは他にないと思います。なぜなら、もしその信念がなければ、大乗の道の入口で退転を余儀なくされてしまうからです。
ただ、何の根拠もなく信念を持つことはできませんから、次回はそのように確信し得る理由や、それ強く維持してゆけるメンタリティについて触れてみたいと思います。

5月26日(木) 無我の意味と菩提心

5月5日の記事の続きです。
大乗仏教は、「個」を徹底的に大切にする・・・と言いましたね。そうすると、「個は無我のはずだ。“個を徹底的に大切にする” などと言うのは、無我を理解していないからではないのか?」という疑問が出てくるかもしれません。
ならば、無我という仏教用語の意味を、漢字のニュアンスに引き摺られずに、よく考えなければいけません。中観派の説く無我は、「色即是空」の空と同じ意味で、何らかものの実体(自性・我)が全く無いということです。その「何らかのもの」は、何でもよいのです。例えば、瓶とか柱とか・・。そしてもちろん、個人それぞれにも、実体は全く無いということになります。
では、この場合の実体(自性・我)とは、一体何でしょうか? それをきちんと確定せずに、いくら無我や空を語っても、意味不明の感情論にしかなりません。 
中観帰謬論証派の見解によると、例えばここに瓶があるとして、この瓶の実体とは、「この瓶をこの瓶たらしめている本質的なものが、この瓶自体の側にある」と私たちが日頃自然に思い込んでいる、その思い込みが指向している先に措定されるものです。しかし、そのようなものが本当にあるかどうか徹底的に分析・追求してゆくと、結局「これだ」とつかめるものは何ひとつ見出せません。そのような実体の「無さ」が、無我や空という意味です。
この瓶の実体を追求したら何も得られないけれど、そのように実体を追求しなければ、瓶は目の前に確かに存在しています。瓶が存在すれば、瓶の色彩や形状など、様々な属性も確かに存在します。
瓶の代わりに、ある人について考えても、全く同様です。その人の実体を追求したら何も得られないけれど、実体を追求しなければ、その人は確かに存在しています。その人が存在すれば、身体や心の在り方として、様々な個性も確かに存在します。
「それをそれたらしめている本質的なもの」がそれ自体の側に全然無いのに、なぜ属性や個性を伴って瓶や人が存在しているのでしょうか? それは、因果関係をはじめとし、他のものごとと相互に依存しあう形で存在しているのです。仏教用語としての縁起は、そうした在り方を指し示す言葉です。
前回の記事でも紹介したパンチェン・ラマ一世『上師供養儀軌』の中に、無我と縁起が矛盾なく両立することを説いた偈があります。
 འཁོར་འདས་རང་བཞིན་རྡུལ་ཙམ་མེད་པ་དང་།
 རྒྱུ་འབྲས་རྟེན་འབྲེལ་བསླུ་བ་མེད་པ་གཉིས།
 ཕན་ཚུན་འགལ་མེད་གྲོགས་སུ་ཆར་བ་ཡི།
 ཀླུ་སྒྲུབ་དགོངས་དོན་རྟོགས་པར་བྱིན་གྱིས་རློབས།།
 輪廻と涅槃〔の諸法〕に自性が微塵もないことと、
 因果と縁起の確実性の両者が、
 互いに矛盾なく携えて現われるという、
 ナーガールジュナの密意を了解するよう〔ラマよ私を〕加持し給え。
『甚深道たる上師供養儀軌』の該当箇所はpp.66-67

話を元に戻すなら、「個は無我」ということは、この偈の一行めに説かれています。「個を徹底的に大切にする」というのは、二行めの枠組みでのことです。その二つは矛盾なく両立するというのが、中観派の大祖師ナーガールジュナの教えにほかなりません。
仏教用語の無我という意味を情緒的に受け取り、自我の確立されていない状態や没個性の状態を仏教の目指すべき理想として掲げるような論調を見聞することもありますが、それは大きな誤解だと思います。自我が確立されていないのは精神的に未熟なだけだし、没個性を強いるのは野蛮な全体主義でしかありません。
菩提心は、千差万別の個性をもつ衆生一人ひとりに対する大慈悲と、「一切衆生救済の重荷をこの自分一人で背負って立とう」という殊勝な決意がなければ、発することはできません。皆で一緒に救われようとか、既に救済活動をしている仏と一体化するとか、そんな誤魔化しのきく甘い話ではありません。「一切衆生救済の重荷を自分一人で背負って立つ」という、これほど強烈な自我意識が、他に何かあるでしょうか? 

最初に世俗菩提心を発するにあたり、空性了解がどうしても必須だということはありません。なぜなら、前回紹介した「自他の平等と置き換え」やその他の修練を通じて自己愛着を克服できるため、そうした状態から発する菩提心そのものは、自己愛着に染まった悪い意味での自我意識(いわゆるエゴイズム)とはなり得ないからです。
しかし、世俗菩提心と空性了解の両者は、相互に助けあってレベルアップしてゆく性質があるから、いずれ両方が必要になることは言うまでもありません。

5月20日(金) 「サカダワ法要」日曜に厳修

ポタラ・カレッジ東京センターで5月22日(日)午後6時45分から実施予定の定例法要を、「サカダワ法要」として厳修します。
「サカダワ」とはチベット暦4月のことで、お釈迦様に有縁の月とされ、功徳を積むのに大変よい機会と考えられています。今年の場合、サカダワが閏月となっています。新暦の5月7日から6月5日までが正サカダワ、6月6日から7月4日までが続サカダワです。
サカダワの満月の日(チベット暦4月15日、今年の場合新暦5月21日)は、お釈迦様の誕生・成道・涅槃の御縁日とされています(誕生については、4月8日とする説もあります)。
ポタラ・カレッジでは、その翌日になりますが、上記のとおり5月22日(日)午後6時45分から8時15分頃まで、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師が導師を勤めて「サカダワ法要」を厳修します。どなたでも御参加いただけます。御都合つけば、是非いらっしゃってください(事前の参加申し込み、予約等は必要ありません)。
また、御縁日の当日である21日(土)には、各自で「ティヤター・オーン・ムニ・ムニ・マハームナイェー・ソーハー」という釈尊の御真言をお誦えになるようお勧め致します。
◎ 『甚深道たる上師供養儀軌』(ポタラ・カレッジ叢書6)や『チベット仏教常用経軌集』(ポタラ・カレッジ叢書3)をお持ちの方は御持参ください。

5月11日(水) 文殊菩薩の礼賛偈

諸仏の智慧を体現する文殊菩薩の礼賛偈「カンロマ」のチベット文、読み方、和訳をアップしました。こちらです。
現在御来日中のダライ・ラマ法王猊下による文殊菩薩許可灌頂の際に配付される尊像の裏面に、「カンロマ」がチベット文で書かれていると思います。当初はこの拙訳をもとにした和訳も掲載される予定でしたが、五箇国語の訳を併記するスペースがないため、チベット語だけということになったそうです。
アップした内容は、2010年にポタラ・カレッジで大阿闍梨チャンパ・リンポチェ師が文殊菩薩の許可灌頂を授けてくださった際に作った資料のままとなっています。今回配られるものとは、細部が若干異なっているかもしれませんが、大方は同じはずです。

5月 5日(木・祝) 自他の置き換えの教誡

シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』第八品に、「自他の平等と置き換え」という発菩提心の教誡が説かれています。分かりやすく紹介すると、「幸せを望み苦しみを避けようとする点で、自分と他者は全く同じである。自分は一人なのに対し、他者は無数に存在する。それゆえ、たった一人の自己の利害に固執し、無数の他者の苦楽を顧みない今の自分の考え方は、あまりにも不合理だといわざるを得ない。そうした心の在り方を180度転換し、無数の他者の利益を第一に考える利他心を育もう。そのような利他心をもとにして、“一切有情を利益するために、自分自身が仏陀の境地を目指す”という菩提心を発することができる」という教えです。
確かにそうなのですが、この言い方は、危ない誤解を生む恐れもあります。それは、「一人と無数」という数の比較を行なっている点です。これを「個と集団」という意味に理解してしまうと、全体主義的・集団主義的な思想の根拠として用いられる危険性があると思います。
いろいろな機会にこの教誡の話題が出るたび、その意図を全体主義的な傾向で捉えたうえで、仏教的な優しいオブラードにくるんで納得してしまう人も結構いるではないか・・・と、私は一抹の不安を感じています。

では一体、この教誡の真意は、どう理解したらよいしょうか?
今の私のような低いレベルの凡夫は、強烈な自己愛着のせいで、大半の言動が自己中心的になっています。とにかく自分の利害が一番大事であり、それに比べれば、他者の苦楽など取るに足らぬものです。ときとして、家族や親しい人を自分以上に大事にすることもあるでしょうけれど、それは「自分にとって」大切な人たちだからです。
このような自己愛着を断ち切れないため、私のような凡夫は、無限の過去から輪廻という苦しみの世界に迷い続けてきたのです。稀に善行をなすことがあっても、大方は自己愛着に起因する諸煩悩のせいで悪行を重ね、それによって多くの他者を苦しめ、巡り巡って自分自身も苦しんできたのです。
一方お釈迦様は、そんな私と正反対の在り方です。自己愛着を断ち切って利他心を育み、菩提心を発して布施を始めとする六波羅蜜の菩薩行を積み、遂には仏陀という理想の境地を実現したのです。それはまさに、自利と利他を円満した状態にほかなりません。
このようにして、今の私の在り方とお釈迦様の在り方の両方を比べれば、その過失と功徳の差異は歴然としています。ならばお釈迦様に見習い、今の私が自分一人へ注いでいるその強烈な愛着のエネルギーを、無数の他者を慈しむことに振り向けてみようではないか。今の私が他者の苦楽に無頓着でいられる冷淡さを、自己中心的な利害に無頓着でいられることに振り向けてみようではないか。そのようにできれば、お釈迦様のケースと同様、未来には自分と他者の双方に最善の結果がもたらされるはずだ・・・というふうに考えて利他心を訓練してゆくことが、「自他の置き換え」の意味です。
つまり、自己愛着に凝り固まった心と、それを断ち切って無数の他者を慈しむ心という、この両者をありありと想起して比べることがポイントなのです。「一人と無数」というロジックも、その比較を鮮明にクローズアップするための表現だと思います。

パンチェン・ラマ一世『上師供養儀軌』の中に、こうした点を明確に説いている偈があります。
 མདོར་ན་བྱིས་པ་རང་དོན་ཁོ་ན་དང་།
 ཐུབ་དབང་གཞན་དོན་འབའ་ཞིག་མཛད་པ་ཡི།
 སྐྱོན་དང་ཡོན་ཏན་དབྱེ་བ་རྟོགས་པའི་བློས།
 བདག་གཞན་མཉམ་བརྗེ་ནུས་པར་བྱིན་གྱིས་རློབས།།
 つまり愚かな凡夫が自利のみ〔をなしてきたこと〕と、
 〔釈迦〕牟尼が利他ばかりなさってきたことの、
 過失と功徳の差異を了解する智慧をもって、
 「自他の平等と置き換え」〔の修行〕ができるように〔ラマよ私を〕加持し給え。
『甚深道たる上師供養儀軌』の該当箇所はpp.55-56

さて、そのように利他心を育んで無数の他者を慈しむには、具体的にどうアプローチすればよいでしょうか?
無数の他者の全体概念たる「一切有情共同体」みたいな集団を想定し、そのために滅私奉公することではありません。一切有情といっても、それは各々が千差万別の個性をもった人や生き物の集まりです。だから、無数の他者を慈しむというならば、個々の有情一人ひとりを尊重しなければならないのです(当面の現実としては、自分が出会ったり知り得る範囲でということになりますが・・)。そのとき誰か一人でも、尊重して慈しむ対象から排除してしまうならば、たとえそれ以外の無数の有情全てを慈しんだとしても、菩提心は成立しません。なぜなら、たった一人が欠けても、もはや「一切有情」ではないからです。どうですか? 「一人と無数」の関係、前と逆のパターンで出て来ましたね(笑)。
このように大乗仏教とは、「個」を徹底的に大切にする教えなのです。集団のために個を犠牲にするような全体主義とは、まさに正反対だといえるでしょう。

5月 1日(日) 金剛瑜伽女行法指導のお礼

一昨日に自分が担当させていただいたGW特別講習「ヴァジュラヨーギニー成就法略本の実修」は、熱心な受講者の方々がお集まりくださり、とてもよかったと思います。
私の説明が至らない点も多かったですけれど、同じ行法の実践経験がある修行者どうし集まって学修する機会は、非常に有意義だったと感じています。
改めて、参加者の皆様に感謝し、精進の功徳に随喜します。
もし後から質問などを思いついたら、遠慮なくお尋ねください。
この成就法の特色ともいえる意念誦と付帯究竟次第については、定期講習の「ヴァジュラヨーギニー成就法広本儀軌講読」で、さらに実践的な考察を深めてゆきたいと思います。

4月28日(木) 金剛瑜伽女行法指導参加者の方へ

前の記事にもあるように、明日(29日)の午前11時~午後5時、「ヴァジュラヨーギニー加持灌頂」受法者を対象に、成就法略本の行法指導を、私の担当で行なわせていただきます。
大日の七法で着座して風のヨーガ等の瞑想を実修するため、チベット式絨毯に座る形で行ないたいと思います。なので、参加者の皆様は、座りやすい楽な服装でいらっしゃってください(座るのが困難な方には、椅子を御用意します)。また、できれば、経軌や法具を置くための敷物を御持参なさった方がよろしいかと思います。

4月19日(火) GWの行事

ポタラ・カレッジ東京センターで、ゴールデンウィーク中に、次のとおり特別講習・集中講座を実施します。

1.特別講習 ヴァジュラヨーギニー成就法略本の実修
「ヴァジュラヨーギニー(金剛瑜伽女)」の加持灌頂受者を対象に、成就法略本儀軌の行法指導を行ないます。今回は、理論的な解説は少なめにして、各自で成就法を効果的に実修できるようになるため、行法を分かりやすく説明したいと思います。
※ 金剛と鈴、ダマル、内供器、念珠等をお持ちの方は、できれば御持参ください。なお、これらをお持ちでなくても、受講に全く支障はありません。
 担当:齋藤保高
 日時:4月29日(金・祝)午前11時~午後5時(途中、1時間の昼休み)
 受講資格:ヴァジュラヨーギニー加持灌頂受法者限定(要申込)。

2.集中講座 ナーロー六法Ⅱ
ゲルク派宗祖ツォンカパ大師の『甚深道ナーロー六法教導次第・三信具足』をダライ・ラマ十四世法王が伝授した際の講伝録をもとに、チャンダリー、幻身、光明、ポワ、トンジュク、中有という六種の秘訣について考察します。「チャクラサンヴァラ」大灌頂受者には、特にお奨めの内容です。
テキストの表紙や目次の画像に、その部分の和訳を付けたものを、こちらで御覧になれます。今回は、テキストのp.41「特別な前行」からになります。2日間では完結しないため、これからも継続して実施する予定です。 
 担当:ゲシェー・ソナム・ギャルツェン
 日時:5月3日(水・祝)・4日(木・祝)
 両日とも午後1時~6時
 受講資格:無上瑜伽タントラ大灌頂受法者限定(要申込)。

3.特別講習 「中論」第十一品・第十二品の解説
中観派の根本聖典であるナーガールジュナ(龍樹)『中論』のうち、第十一品「前後の辺際の考察」と第十二品「自により作られたものと他により作られたものの考察」について解説します。この箇所は、人無我の論証の一環です。実在論者側から「輪廻があるから、輪廻を体験する者が居る。体験する者には、我があるのではないか?」という論難が投じられることを想定し、それに対する中観派の返答が提示されています。今日でもよく見受けられる「仏教は、無我説だから輪廻を否定している」などという誤解は、この教えをよく吟味すれば雲散霧消するはずです。
今回の特別講習では、ゲルク派宗祖ツォンカパ大師による『根本中論大註・正理の海』に沿い、できるだけ平易に説明します。
※ 講師の共訳書『全訳 ツォンカパ 中論註 正理の海』(起心書房)を参考図書に用います。
 担当:クンチョック・シタル
 日時:5月5日(金・祝)午前11時~午後5時(途中、1時間の昼休み)
 受講資格:どなたでも御参加いただけます(要申込)。

お問合せ・お申込みは、TEL.03-3251-4090、info@potala.jpまで。

なお、大型連休期間中の東京センター定期講習については、今年はカレンダーどおりの取り扱いとします。
4/29(金)・5/3(火)・5/4(水)・5/5(木)は、祝日なので定期講習は休講となります。
4/30(土)・5/1(日)・5/2(月)、及び5/6(金)・5/7(土)・5/8(日)は、祝日ではありませんから普段どおり定期講習を実施します。

4月18日(月) 熊本地震の法要を24日に厳修

4月24日(日)午後6時45分からポタラ・カレッジ東京センターで実施予定の定例法要を、「熊本地震鎮静・復興祈願法要」として厳修します。犠牲者の追悼、地震活動の鎮静、被害の早期復興をお祈りしたいと思います。
導師はゲシェー・ソナム・ギャルツェン師が勤め、お誦えする経軌は定例法要とほぼ同じです。
法要の際に集まったお布施は、熊本地震のための義援金として全額寄付します(供物代はポタラ・カレッジで負担します)。
皆様でお誘い合わせのうえ御参加ください(事前の参加申し込み、予約等は必要ありません)。
◎ 『甚深道たる上師供養儀軌』(ポタラ・カレッジ叢書6)や『チベット仏教常用経軌集』(ポタラ・カレッジ叢書3)をお持ちの方は御持参ください。

4月17日(日) 『五次第明灯』の科文追加

『五次第明灯』の科文のページで、今まで省略していた「6-2-3-2-2-2. e vam二〔字〕の義を広説する」の支科範を、全部掲載しました。無上瑜伽タントラ一般に共通する究竟次第の要点を解説している、非常に中身の濃い箇所です。
このテーマが、楽空無差別と二諦無差別の両面から説かれていることは、特に意識すべき重要なポイントです。e vam二文字と結びつけるなら、前者の場合、eは空性、vamは大楽智となります。後者の場合、eは義の光明、vamは清浄な幻身です。光明は勝義諦、幻身は世俗諦と結びつくから、二諦と表現されるわけです。
ごく簡単にいえば、大楽の智によって空性を直観的に覚ることが「楽空無差別」です。それを完全な形で体験している状態が「義の光明」です。その義の光明と清浄な幻身が両立一体化している状態が「二諦無差別」ということになります。
このように楽空無差別と二諦無差別の意味内容をきちんと区別して整理しておくことは、究竟次第の行法を正しく理解するために欠かせません。

定期講習で私が担当している「五次第明灯」のコース、今期は「6-2-3-2-2-2-1-1-2.楽の義を説く」からになります。少し中途半端なので、「e vam二〔字〕の義を広説する」の冒頭から簡単に復習して、先へ進みたいと思います。
三大本尊に共通する究竟次第の核心に迫る部分だから、頑張って学んでゆきましょう!

4月16日(土) 熊本地震

被災者の皆様にお見舞い申し上げます。
ポタラ・カレッジの会員・受講者にも、熊本方面の方々がおられます。余震や誘発地震が続いているようですが、御無事を心からお祈りしたいと思います。

4月15日(金) タシデレでクンチョック師の講話会

4月23日(土)に、チベットレストラン&カフェ「タシデレ」で、ポタラ・カレッジのクンチョック・シタル師のお話があります。テーマは「ダライ・ラマとパンチェン・ラマの位置付けと役割と共に、近代チベットの歴史にふれる」。時間は午後3時~4時半頃。飲み物(バター茶かチャイ)とカブセ(チベットの揚げ菓子)がついて2,000円。お店への電話予約が必要です(03-6457-7255)。

会場のタシデレについては、こちら昨年6月8日の記事)を御参照ください。

4月11日(月) ポタラ公式サイト全面リニューアル

先週4月8日に、ポタラ・カレッジ公式サイトを全面リニューアルしました。
こちらを御覧ください。
URLは、以前と同じです。
但し、旧サイトの曼荼羅の絵のあるページ(www.potala.jp/top.html)にリンクやブックマークをしていると、新サイトは表示されません。お手数ですが、top.htmlを削除してください。

旧サイトでは、リアルタイムの更新が難しく、御不便をかけてしまったと思います。申し訳ありませんでした。
今後は、新しい情報を速やかにアップしてゆきますので、是非頻繁にチェックしてください。
新サイトは、スマホでもそのまま見やすく表示されるから、とても便利だと思います。

とりあえず現在は、今月下旬から始まる定期講習の情報提供を急がなければいけないため、必要最低限のコンテンツを掲載しています。これから少しづつ、参考になる読み物のページなども増やしてゆく予定です。

ポタラ公式サイトは、ITに詳しい会員の方々のボランティアによって成り立っています。新サイトのシステムは素人でも扱えるため、今後日常的な更新は私自身が行ないますが、会員のボランティアのお蔭だという点は変わりありません。心より感謝したいと思います。

4月 3日(日) ナーロー六法のテキスト

3月2日の記事で御紹介した次の週末の集中講座「ナーローの六法Ⅰ」(4月9日・10日実施、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン担当)についての追加情報です。

集中講座で使用するテキスト(チベット語)の表紙や目次の画像に、その部分の和訳を付けて、facebookのアルバムを作りました。
こちらを御覧ください(アカウント登録をしていなくても閲覧可能です)。

このテキスト、『ダライ・ラマ法王猊下がお授けになったナーロー六法の教導』というタイトルです。
最近、ダライ・ラマ14世法王の説法を全集にまとめるプロジェクトが幾つか進められていますが、その中の一つ、ガンデン・ボタン・トラストのシリーズ第1巻がこの本で、去年刊行されたばかりです。
目次を御覧になれば、全体の構成を大体把握できると思います。テキストの本は、受講者で希望する方には頒布します。宗祖ツォンカパ大師の『甚深道ナーロー六法教導次第・三信具足』本文と、それに対する法王猊下の解説が交互に載っているため、チベット語を学んでいる方には勉強になると思います。ゲシェー・ソナム師は、もちろんこれを日本語で説明しますから、チベット語を読まない方でも安心して御参加いただけます。

あと、話は変わりますが、昨年12月23日の記事に、写真を添付しました。

4月 1日(金) 定期講習案内書、本日発送

金剛瑜伽女

ポタラ・カレッジ東京センターの定期講習は、昨年10月下旬に始まった学期が、昨日までで全て終了しました。受講者の皆様の御精進に、心より随喜したいと思います。

さて本日、新しい案内書・申込書を、会員の方々へ発送しました。来週の前半には届くと思います。会員以外の方にも、御請求があればお送り致しますので、遠慮なくおっしゃってください(info@potala.jp)。
来期は、4月20日(水)からスタートです。
新規開講は、「龍樹 “宝行王正論“ の解説」(土曜午後5時~、ガワン師)、「“ブッダパーリタ註” の解説」(木曜午後6時30分~、クンチョック師)、「“クンサン・ラメー・シェルン” の講読」(通信受講専用コース、ガワン師)、「チベット仏教入門 ユンテン・シルキュルマ」(第4木曜午後2時30分~、クンチョック師、ガワン師)などがあります。
詳しくは、こちらのページを御覧になってください。

写真は、私が担当している「ヴァジュラヨーギニー成就法広本講読」(日曜午前11時~)のコースで、我生起のヨーガの説明にあたって用いた尊像です。このコースは、来期も同じ時間帯に、継続して実施します。いよいよ、成就法の核心部分の行法に入ってゆくので、自分もすごく楽しみです!

3月28日(月) シャマル・ラムリムの止観

3月2日の記事で御紹介した今週末の集中講座「シャマル・ラムリムの止観」(4月2日・3日実施、クンチョック・シタル担当)についての追加情報です。
この教えは、ダライ・ラマ法王猊下がここ数年に渡って毎年12月に授けてこられた「十八のラムリムの大講伝」の中に入っています。関心のある方は、英文ですが、大講伝の公式サイトを御参照ください。
https://www.jangchuplamrim.org/
JANCHUB LAMRIM>The 18 Commentariesのページに紹介されています。
シャマル・パンディタ;十八ラムリム大講伝の公式サイトより転載
シャマル・パンディタ・ゲドゥン・テンズィン・ギャツォ(1852-1912)

この大講伝は、リン・リンポチェ猊下の発願により南インドのゲルク派大本山持ち回りで開催され、昨年12月のタシールンポ寺に於ける止観の伝授をもって全て成満しました。
ポタラ・カレッジのクンチョック・シタル師も、現地でこの止観の伝授を受法しています。
なので、今回の集中講座は、ダライ・ラマ法王の教えを直接聴聞したばかりのクンチョック先生から、『シャマル・ラムリム』の新鮮な教えの流れを受ける絶好の機会となるはずです。

3月26日(土) 東洋大学でクンチョック師の講演会

3月29日(火)に東洋大学仏教青年会の主催で、ポタラ・カレッジのクンチョック・シタル師の講演「チベット仏教の現状」が行なわれます。
時間は午後2時40分~3時50分、場所は東洋大学甫水会館4F特別会議室、どなたでも参加できるそうです。
詳しくは、主催者のサイトを御覧ください。
http://www.toyo-ymba.org/

3月21日(月・休) 春からの定期講習案内ページ

遅くなりましたが、4月下旬から始まるポタラ・カレッジ定期講習の御案内ページを作りました。
こちらです。

東京センターの新規開講は、「龍樹 “宝行王正論” の解説」(土曜17時~)、「 “ブッダパーリタ註“ の解説」(木曜18時30分~)、「瞑想教室 ラムツォ・ナムスム」(日曜15時15分~)、「前行道場 グルヨーガ」(日曜17時~)、「 “クンサン・ラメー・シェルン” の講読」(通信受講専用)、「チベット仏教入門 ユンテン・シルキュルマ」(第4木曜14時30分~)を予定しています。

私の担当は、継続開講コースの「五次第明灯」(土曜13時30分~)と「ヴァジュラヨーギニー成就法広本儀軌講読」(日曜11時~)の二科目です。今期も、ともに精進してゆきましょう!

なお大阪教室は、全てクンチョック・シタル師の担当となり、毎月第4日曜に「所作タントラの道次第」(11時~)と「入菩薩行論」(14時~)を実施します。

3月18日(金) 平日昼間の入門クラス開講

ポタラ・カレッジ東京センターの定期講習、4月下旬スタートの新規開講コース、今回はもう一つ新しい企画を始めます。

チベット仏教入門「ユンテン・シルキュルマ」
宗祖ツォンカパ大師が「ラムリム」の要点を読誦用の短い偈頌にまとめた『ユンテン・シルキュルマ』を教材に、チベット仏教の教理・実践の枠組みを概観する初心者向けの講習です。
毎月第4木曜の午後2時30分~4時に実施。クンチョック・シタル師とガワン・ウースン師が交替で担当します。
今年9月までの実施日は、4/28、5/26、6/23、7/28、8/25、9/29を予定しています(但し、ポタラ・カレッジの行事等の都合で変更となる場合もあります)。
平日の昼間だと御都合のよい方にお奨め!
お問合せは、TEL.03-3251-4090、info@potala.jpまで。

3月 2日(水) ポタラ・カレッジ3月・4月の行事

ついこのあいだお正月だったような気がするのに、早くも3月なんですねー(汗)。
さて今春は、高僧をお招きしての密教伝授がないため、ポタラ・カレッジ講師陣による特別行事を精力的に実施します。けっこうユニークで興味深い企画が多いですよ! 会場は、いずれもポタラ・カレッジ東京センターとなります。

1.特別講演「チベット仏教の祈祷」
3月21日(月・休)午後1時~6時
担当:ゲシェー・ソナム・ギャルツェン
 厄除けや病気平癒、財運向上、学業成就など様々な祈祷について、本尊や修法の種類、根拠となる経軌などを紹介します。こうした現世利益の祈願は、それ自体が信心の主目的になると道を誤りますが、仏道修行を安定して継続するために必要なケースも多々あります。

2.集中講座「シャマル・ラムリムの止観」
4月2日(土)・3日(日)両日とも午前11時~午後5時(途中1時間の昼休み
担当:クンチョック・シタル
 ダライ・ラマ十三世法王の恩師にあたる大学僧シャマル・パンディタ・ゲドゥン・テンズィン・ギャツォの『シャマル・ラムリム』の中から、止観の教えについて解説します。このテキストの特色は、宗祖ツォンカパ大師の時代から19世紀に至るまで、ゲルク派の僧院で研鑽・蓄積されてきた問答の成果が豊富に反映されている点です。止観の瞑想や中観哲学に関心のある方へお奨め!

3.集中講座「ナーローの六法Ⅰ」
4月9日(土)・10日(日)両日とも午後1時~6時
担当:ゲシェー・ソナム・ギャルツェン
 宗祖ツォンカパ大師の『甚深道ナーロー六法教導次第・三信具足』をダライ・ラマ十四世法王が伝授した際の講伝録をもとに、チャンダリー、幻身、光明、ポワ、トンジュク、中有という六種の秘訣について考察します。今回の2日間だけでは完結しないため、GWやそれ以降に継続して実施する予定です。参加資格は、無上瑜伽タントラの灌頂を受けていること。無上瑜伽の中でも、特に「チャクラサンヴァラ」大灌頂の受法者にはお奨め!

4.集中講座「チベット語の文法と法話の聞き取り」
4月16日(土)・17日(日)両日とも午前11時~午後5時(途中1時間の昼休み
担当:ガワン・ウースン
 ダライ・ラマ法王猊下の法話の音声などを教材とし、そのフレーズを文法的に解説し、ヒアリングの練習をします。仏教用語や法話での言い回しに慣れ、ラマの説法を聞き取れるようになることを目指します。チベット語の基礎知識がある方向け。

お問合せ・申込みは、TEL.03-3251-4090、info@potala.jpにて承わります。

2月29日(月) 「クンサン・ラメー・シェルン」開講

ポタラ・カレッジ定期講習、4月下旬新規開講予定の通信受講専用コースです。

「クンサン・ラメー・シェルン」の講読 ガワン・ウースン担当
初代バトゥル・リンポチェの『クンサン・ラメー・シェルン』は、ニンマ派の伝統に基づくゾクチェン前行の入門書です。かつて『虹の階梯』などでも紹介され、古くからよく知られた教えといえるでしょう。内容は基本的に顕密共通の道次第であり、「ラムリム」と大方一致する枠組みといえますが、教えを理解するための豊富なたとえ話に特色があります。
ポタラ・カレッジでは、以前にもガワン先生の担当で、『クンサン・ラメー・シェルン』のコースを実施したことが複数回あります。そこで今回は、通信受講専用コースということもあり、テキストの正確な読解と語義解釈に主眼を置いて説明を進めてゆく予定です。
『クンサン・ラメー・シェルン』の原典を読み解き、テキストをきちんと習得したい方へ、特にお奨めのコース。チベット語を学んでいない方でも、内容的には役にたつはずです。お問合せは、TEL.03-3251-4090、info@potala.jpまで。

2月26日(金) 龍樹「宝行王正論」春から新規開講

ポタラ・カレッジ東京センターの定期講習、4月下旬スタートの新規開講コースをもう一つ御紹介しましょう。

龍樹「宝行王正論」の解説
毎週土曜 午後5時~6時30分 ガワン・ウースン担当 【通信受講併用】
ナーガールジュナ(龍樹)の「中観六論書」の中でも、この『宝行王正論(中観宝鬘)』は、仏教の教理・実践の全体像を概観しつつ中観思想の理解を深めてゆける内容で、本格的な学修のための入門書として適しています。
このテキストの指導に経験豊富なガワン先生の解説で、ナーガールジュナの広大かつ深遠な教えの世界へ入ってゆく、とても貴重な機会になると思います。じっくり学びたい初心者の方にもお奨めです! 初回は、4月23日(土)を予定しております。
お問合せは、TEL.03-3251-4090、info@potala.jpまで。

2月18日(木) 写真の掲載を再開

実は、このサイトのホームページ作成ソフトのバージョンアップをずっとサボっていたため、だいぶ前から画像のアップロードができなくなっていました(汗)。
今回ようやく更新を行ない、サイト全体の見ためも、少しだけ変わったのではないかと思います。それと同時に、画像のアップも再び可能となりました。
そういうわけで、これからはまた、写真や画像等も積極的に掲載してゆきたいと思います。とりあえず手始めに、「ギュトゥー寺での 密教学修 2014」のページで、写真の貼り付けをやってみました。やはりこういうページは、写真がある方がいいですよね。

2月12日(金) 「ブッダパーリタ註」春から新規開講

ポタラ・カレッジ東京センターの定期講習、4月下旬スタートの新規開講コースの一つを御紹介します。

「ブッダパーリタ註」の解説
毎週木曜 午後6時30分~8時 クンチョック・シタル担当 【通信受講併用】
宗祖ツォンカパ大師が文殊菩薩の導きで『中論』の密意を会得したときに拠りどころとなった註釈が、この『ブッダパーリタ(仏護)註』です。中観帰謬論証派の根本聖典と位置づけられ、後のチャンドラキールティ(月称)の見解も、これに依拠しています。
いまだ全篇の和訳は出ていない『ブッダパーリタ註』を、中観哲学に造詣の深いクンチョック先生とともに読み解いてゆく、大変貴重な機会です。
初回は、4月21日(木)を予定しております。
お問合せは、TEL.03-3251-4090、info@potala.jpまで。

2月 9日(火) チベット暦正月

༄༄།། ནམ་ལོ་གསར་ལ་བཀྲིས་བདེ་ལེགས་ཞུ །།

本日は、チベット暦2143年の元日です。
新年「ロサル」を迎え、信心深いチベットの人々が平和な生活を送れるよう、改めて心から祈念したいと思います。

2月 4日(木) 2月の特別講習と祈願大祭

あっという間に1月が終わり、もう立春ですね。
さて、ポタラ・カレッジの会員や受講者の方々へは手渡しや郵送で御案内を差し上げていますが、東京センター2月の予定を簡単に御紹介しましょう。

1.特別講習「中論第十品の解説」
 聖者ナーガールジュナ(龍樹)『根本中論頌』の第十品「火と薪の考察」を、宗祖ツォンカパ大師の註釈に基づいて、平易に解説します。これは、人無我の論証の一環として、人などが自性によって成立することの喩例を否定する内容です。中観哲学に御関心のあるへお奨めの講習!
◎ 参考図書『全訳 ツォンカパ 中論註 “正理の海”』(クンチョック・シタル、奥山裕共訳、起心書房)
 講師:クンチョック・シタル(ポタラ・カレッジ副会長・主任講師
 日時:2月11日(木・祝)午前11時~午後5時(途中、1時間の昼休みを設けます。
 どなたでも御参加いただけます(要申込)。
 ※ 当日は祝日のため、定期講習「四百論」は休講となります。

2.祈願大祭「ムンラム・チェンモ」法要
 チベット暦1月の満月の日(今年の場合、新暦の2月22日)は、「チョトゥル・トゥーチェン」といい、お釈迦様が神変により諸魔を降した日とされています。ダライ・ラマ法王の仮宮殿があるダラムサラの中央寺院では、この日を中心に祈願大祭(ムンラム・チェンモ)が挙行され、宗派や僧俗の別なく大勢の人々が参集します。ポタラ・カレッジ東京センターでも、満月の前夜になりますが、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師を導師に「祈願大祭法要」を厳修します。釈尊の偉業に随喜して功徳を積み、祈りを捧げる善き機会です。どなたでも、自由に御参加いただけます。
 日時:2月21日(日)午後6時45分~8時15分頃(6時半開場
 ◎「甚深道たる上師供養儀軌」をお持ちの方は、御持参ください。
 ※ 翌週2月28日(日)の定例法要は、お休み致します。

お問合せ、特別講習のお申し込みは、TEL.03-3251-4090、info@potala.jpにて承わります。

なお、2月の大阪教室は14日(日)、名古屋教室は20日(土)に実施します。いずれも、クンチョック師の担当です。
名古屋教室は、今年の3月で終了することになりました。これまで御参加された受講者の皆様、会場を御提供くださった成田山萬福院様に、心より厚く御礼申し上げます。

1月20日(水) 写真・画像アルバムの一覧

本サイトの記事やポタラ・カレッジの活動など、主に仏教関係の写真・画像を集めたアルバムを、SNSフェイスブックに幾つかアップしてあります(facebookのアカウント登録をなさっていなくても御覧になれます)。
それらのアルバムへリンクする入口は、本サイトの様々なページの中に設けてあり、作った自分でさえ、どこだったか分からなくなってしまうこともありました(笑)。
そこで今回、それらのアルバムを一括して紹介するページを作りました。こちらです。

仏教の実践面、とりわけ密教に関しては、視覚的な資料が重要な役割りを果たすケースも多くあります。それゆえ、今後も必要に応じ、写真・画像アルバムを作ってゆきたいと思います。
新しく作成したアルバムも、この一覧ページに順次追加します。また、この一覧ページへは、トップページから常時リンクするようにしておきます。

1月 8日(金) 定期講習始まります

本日から、ポタラ・カレッジの定期講習が再開です。
新しい年に、心機一転、頑張りたいと思います!

大阪教室は、会場の都合により、今月は第4日曜ではなく、第2日曜の10日に実施します。担当は、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師です。

11日(月・祝)は、東京センターで新春特別講習「白マハーカーラの祈願と行法」があります。これもゲシェー・ソナム師の担当、午後1時~6時です(当日の定期講習「入中論」は休講)。
参加資格は、白マハーカーラの許可灌頂を受けているか、または四部タントラいずれかの完全な灌頂を受けていることです(お問合せ・申込みは、info@potala.jpまで)。

あと、今週末の東京センターは、クンチョック先生とガワン先生が不在のため、担当者の変更と休講があります。受講者の方々には、御迷惑をかけてしまい、申し訳ありません。
1月9日(土)午前11時~「カーラチャクラ」斎藤担当、午後1時30分~「五次第明灯」斎藤担当、3時15分~「チベット語中級」休講、5時~「量評釈」休講、6時45分~「入菩薩行論」ゲシェー・ソナム担当
10日(日)午前11時~「ヴァジュラヨーギニー」斎藤担当、午後1時30分~「チベット語上級」休講、3時15分~「瞑想教室」斎藤担当、5時~「前行道場」斎藤担当・・・ということになります。
年明け早々、ちょっと大変ですね(汗)。不行き届きもあると思いますが、よろしくお願いします。 

2016年1月1日(金・祝) 初詣と新年法要

謹んで新年をお祝い申し上げます。
今年もよろしくお願い致します。

昨年は、三年間の大親近行を満願したゲシェー・ソナム・ギャルツェン師がポタラ・カレッジでの指導に復帰し、また大阿闍梨トクデン・リンポチェ猊下(大本山デプン寺ロセルリン学堂前僧院長、ギュトゥー寺元僧院長)による「チャクラサンヴァラ」や「ヴァジュラヨーギニー」を中心とする密教伝授も実現しました。
ポタラ・カレッジは極めて小規模な仏教団体ですが、こうして真面目な宗教活動を地道に継続できるのは、会員・受講者の皆様のお蔭にほかなりません。年頭にあたり、心より随喜と感謝を捧げたいと思います。
私個人としては、前の記事でも触れたように、北インドのギュトゥー寺で大阿闍梨ゲン・ゲドゥン・ツェリン師から「ルーイーパ流チャクラサンヴァラ」成就法広本の行法などを習うことができました。とても有難いことです。
宗祖ツォンカパ大師が密教の核心と位置づける三大本尊(グヒヤサマージャ、チャクラサンヴァラ、ヤマーンタカ)の行法の流れを日本でも確立ことを目指し、今年も微力ながら精進努力を続けて参りたいと思います。

さて、来たる1月3日(日)午後2時~4時には、ポタラ・カレッジ東京センターで初詣ができます。
午後3時からは、ゲシェー・ソナム師を導師に、新年法要を厳修します。
どなたでも自由に御参加いただけるので、是非お気軽にいらっしゃってください。
『チベット仏教 常用経軌集』をお持ちの方は、必ず御持参ください。
お問合せは、info@potala.jpにて承わります。

2015年12月31日(木) ダラムサラとギュトゥー寺の写真

本当に早いもので、もう大晦日ですね。
ポタラ・カレッジの休講期間は2週間ほどあるのですが、年末年始のつまらない雑用に追われていると、あっと言う間に日時が過ぎ去ってしまいます。

さて、今年の8月に北インドのダラムサラを訪れ、ギュトゥー寺でチベット密教を学修したときの写真を集めたアルバムを、facebookに作ってみました。
こちらです(facebookのアカウント登録をなさっていない方でも御覧いただけます)。
9月からずっと、作ろう作ろうと思いつつ、延び延びになっておりました。年を越してしまうと、もう永遠にやる機会を逸してしまうだろうな・・・ということで、年末ギリギリにやっつけ仕事でまとめてみました(汗)。
今さら観はありますが、密教教学的に貴重な資料も入っていますので、御関心のある方は、お正月休みにでも御覧になっていただければと思います。

そんなこんなで、この一年間も多くの皆様に色々とお世話になりました。本当に有難うございます。
ではどうか、良いお年をお迎えください。

12月23日(水・祝) スーナム・タクパ大師御縁日

明日12月24日は、チベット暦の11月14日(今年の場合)、パンチェン・スーナム・タクパ大師の御縁日です。
大師は、大本山デプン寺ロセルリン学堂の教学体系を確立した大学僧です。第十五世のガンデン座主をお務めになり、ダライ・ラマ三世の恩師としてもよく知られています。総本山ガンデン寺シャルツェ学堂やギュトゥー寺などでも、大師の著作が主な教科書となっています。

パンチェン・スーナム・タクパ大師
争乱時代の大学僧パンチェン・スーナム・タクパ(ガンデン寺シャルツェ学堂の教科書より)

以前ポタラ・カレッジの団体参拝で、南インドのデプン寺ロセルリン学堂に滞在したとき、ちょうどこの御縁日に居合わせたことがありました。本堂がイルミネーションできらびやかに飾られ、寺務所のパーティにお招きいただいたのを覚えています。
現代日本人の仏教寺院に対するイメージからすると、巷のクリスマスデコレーションのような派手な装飾には違和感を抱くかもしれませんが、インド-チベット的な伝統では、それも光の供養だから教義的に全然おかしくありません。

ロセルリン学堂
大本山デプン寺ロセルリン学堂の本堂(学堂のポストカードより)

個人的には、パンチェン・スーナム・タクパ大師による「グヒヤサマージャ」二次第の解説書『智慧者の魅惑』を、大阿闍梨チャンパ・リンポチェ師の御自坊で学んだときのことが、懐かしく思い出されます。
このテキストは、ギュトゥー寺の公式教科書にもなっており、宗祖ツォンカパ大師の密教教学の要点を理解するのに、とても役だつ内容です(『智慧者の魅惑』についてはこちらのページ参照)。

12月15日(火) 年末特別講習「中観の四念住」

12月23日(水・祝)にポタラ・カレッジ東京センターで、年末特別講習「中観の四念住」を実施します。時間は午前11時~午後5時、ガワン・ウースン師の担当です。

仏教一般の四念住(四念処)は、不浄・苦・無常・無我を念じることです。しかし、今回のテーマとなる「中観の四念住」では、上師・慈悲・本尊・空性を観想し、大乗仏教の枠組みの中で顕教と密教を結びつける要点を修習します。
教材に用いる「見解教導・四念住の道歌」は、宗祖ツォンカパ大師が文殊から直接授かったとされる教誡で、これを師資相承して受け継いだダライ・ラマ七世法王が道歌としてまとめたものです。偉大な上師たちの加持力を伴ったこの要訣を学び、その中から日々の実践に役だつ教えを見いだすことができるはずです。
お問い合わせ・お申し込みは、TEL.03-3251-4090、info@potala.jpにて承わります。

12月 2日(水) ツォンカパ大師御縁日法要

秋からの定期講習が始まったと思ったら、あっという間に12月ですね。先月は、ブログの更新をサボってしまい、すみません(汗)。

さて、チベット暦の10月25日(今年の場合、新暦の12月5日)は、宗祖ツォンカパ大師が御入滅の理趣をお示しになった御縁日で、「ガンデン・ガチュー」といいます。
ポタラ・カレッジ東京センターでは、「ガンデン・ガチュー法要」を、12月5日(土)午後6時45分から行ないます。
法要では、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師を導師に、皆で「グルプージャ儀軌」を厳修します。どなたでも御参加いただけますので、是非いらっしゃってください。
なお、当日午後6時45分からのの定期講習「入菩薩行論」は休講となります。

10月22日(木) 『五次第明灯』の科文掲載

『五次第明灯(リムガ・セルドゥン)』は、宗祖ツォンカパ大師が「グヒヤサマージャ」聖者流の究竟次第を詳細に解説した最晩年の名著で、無上瑜伽タントラの最奥義、ゲルク派密教の究極的な立場を明示するものです。
こうした大部の著作では、著述内容を整理して階層的な項目にまとめた科文が、本文の随所に設定されています。今回、その科文だけを抜き出して和訳したものを、新しいページで掲載してみました。こちらです。
これで、全篇の大枠は、ほぼつかめると思います。ただ、最も中心となる箇所の詳細な支科範は、現時点では省略されており、後日アップしてゆく予定です。

ポタラ・カレッジ東京センターの定期講習で私が担当している「五次第明灯」のコースは、今年の4月に新規開講し、この秋は科文の「4.聖者流の典籍の数々」から勉強します。
科文を見ても分かるとおり、これから少しづつ本格的な内容へ入ってゆくところなので、今から新たに受講なさっても問題ありません。
無上瑜伽タントラの大灌頂を受けていれば、1回見学もできますから、御関心のある方は是非いらっしゃってください。今週の土曜からです。

10月18日(日) 倶舎論と大乗阿毘達磨集論

今週から東京センターの定期講習が始まります(詳しくはこちら)。

きょうは、新規開講コースの中で、「倶舎論と大乗阿毘達磨集論」(火曜午後6時30分~、通信受講併用)を御紹介しましょう。
案内にもあるように、五薀・十二処・十八界、二十二根、心・心所・心不相応行、六因・五果・四縁などの内容は、小乗と大乗、顕教と密教に共通する通仏教的な基本です。
先般の密教伝授の際にも、大阿闍梨トクデン・リンポチェ猊下とゲシェー・ソナム・ギャルツェン師が何度も「密教独特の道だけでなく、顕密共通の道の学修を怠らないように」と強調しておられましたが、まさにこのコースで学ぶことは、哲学的な基礎理論の方面に於てそれに該当するものといえるでしょう。
担当のガワン・ウースン師は、こうした阿毘達磨の教理に関して、大変造詣の深い先生です。
通仏教的な基礎学を正確に習得したい方へ、特にお奨めのコース!

10月15日(木) トクデン・リンポチェ猊下離日

昨日午前に成田空港で、大阿闍梨トクデン・リンポチェ猊下と承仕チューベル師をお見送り致しました。
遠からず再び来日され、ポタラ・カレッジで説法してくださることを、心より祈念したいと思います。

午後からは、ポタラ・カレッジ東京センターの後片付けを行ないました。
いよいよ来週10月19日(月)から、東京センターの定期講習が開講です(名古屋教室は17日、大阪教室は25日)。
内容は、こちらを御覧ください。
今期もまた、受講者の皆様とともに精進してゆきたいと思います。どうかよろしくお願いします!

10月13日(火) 薬師如来の行法

お蔭様で、大阿闍梨トクデン・リンポチェ猊下による密教伝授は、昨日の「七仏薬師許可灌頂」をもって、全て成満しました。締めくくりに、御法礼の「上師供養儀軌」を厳修し、全ての行事を無事に終えることができました。
御参加くださった受者の皆様、ボランティアで御奉仕くださった会員の方々へ、心から感謝したいと思います。

ところで、薬師如来の灌頂・許可灌頂の受者を主な対象に、簡単な成就法を分かりやすく解説し、病気の平癒や身心の健康を祈願するやり方を指導する機会を、11月23日(月・祝)に設けます。ポタラ・カレッジ東京センターで、時間は午後1時~5時。担当は、クンチョック・シタル師です。
今回の「七仏薬師許可灌頂」を受けた方はもちろん、以前に薬師如来の灌頂や許可灌頂を受法した方にもお奨めです。
お問合せ・お申込みは、info@potala.jpまで。

10月11日(日) 六座グルヨーガ

大阿闍梨トクデン・リンポチェ猊下の密教伝授、「ヴァジュラヨーギニー(金剛瑜伽女)」の加持灌頂も、お蔭様で昨日無事に成満しました。

御承知のとおり、先日の「チャクラサンヴァラ」ルーイーパ流の大灌頂と昨日の「ヴァジュラヨーギニー」加持灌頂を受法された方は、「六座グルヨーガ」を毎昼夜に修行することが三昧耶(大阿闍梨との誓約)となっています。
この「六座グルヨーガ」の行法指導を、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師の担当で、11月3日(火・祝)午後1時~6時にポタラ・カレッジ東京センターで実施します(通信受講も可)。
今回初めて「六座グルヨーガ」を修行する方はもちろん、要点を復習したいとお考えの方にもお奨めです。

「六座グルヨーガ」の修行は、とにかく毎日毎日、ずっと続けることが大切です。最初のうちは、完璧に瞑想するのは難しいですから、少しづつ儀軌に慣れることを目指しましょう。厳しく考えすぎて些細な点にこだわると、毎日続けるのが難しくなってしまいかねません。
もし、実修上の疑問や困難が生じたら、いつでも相談に乗りますから、遠慮なくお声をかけてください。

「六座グルヨーガ」と「三昧耶戒」については、本サイトの「無上瑜伽タントラ灌頂受者専用ページ」にも詳しい解説がありますから、よろしければ御活用なさってください。入口はこちらです。

また、拙著『チベット密教 修行の設計図』(春秋社)の第八章(pp.86-101)にも、「六座グルヨーガ」の結構踏み込んだ説明があります。
この本は、一応初心者向けという設定になっているけれど、文字どおり初心者の段階で第八章を読んだ場合、「無上瑜伽タントラの大灌頂を受けたら、こんな感じの修行をするのか・・」ということが漠然と分かるぐらいだと思います。でも、実際に灌頂を受けて「六座グルヨーガ」の実修を始めた方が読めば、色々なことが見えてくるはずです。

10月 5日(月) チャクラサンヴァラ大灌頂成満

今回の大阿闍梨トクデン・リンポチェによる密教伝授のうち、一番大きな行事だった「チャクラサンヴァラ」ルーイーパ流の大灌頂が、昨日無事に成満しました。真摯な受者の方が多勢集まり、とても有意義な伝法の機会となったと思います。
狭い会場のため、長時間窮屈な状態で御辛抱いただきましたが、皆様の御協力のお蔭で、諸々の過程を円滑に進めることができました。受者の皆様、ボランティアで御奉仕くださった会員の方々へ、心より感謝したいと思います。

10月6日(火)「ジェ・ツォンカパ大師の灌頂」以降の諸行事は、いずれもまだ空きがありますので、今からでも受法お申し込みいただけます。詳しくは、こちらを御覧ください。
なお、10月11日(日)「ヴァジュラヨーギニーの成就法伝授」は、時間が午後1時~6時に変更となりました。

9月30日(水) トクデン・リンポチェ猊下御来日 

大阿闍梨トクデン・リンポチェ猊下と承事のチューペル師を、本日午前に成田空港でお迎え致しました。
明日から10月12日まで、ポタラ・カレッジ東京センターで、密教の灌頂など貴重な説法の数々が行なわれます(こちらを御参照ください)。

灌頂を受法するにあたって最も大切なのは、至極当たり前のことですが、三宝への帰依、そして菩提心です。
こうした点については、以前のブログでも再三書いていますが、重要なことですから昔の記事を再掲しておきましょう。これは、私自身の自戒のためでもあります。

密教の灌頂や伝授では、「ラマと本尊は一心同体であり、それに仏法僧の三宝が集約されている」と信解し、真心から帰依することが大切です。
そして、「一切衆生のため、自分自身が仏陀の覚りを得よう」という菩提心を動機にして、灌頂や伝授を受けることが肝要です。
一番大事な要点は、実にこれだけです。

密教を修行するには、仏教一般の巾広い知識や、特に中観の正しい理解が必要です。また、密教自体についても、学ぶべきことはたくさんあります。瞑想を実践するためには、精神集中力も欠かせません。
けれどもこれらは、灌頂を受けてから、いくらでも学修できます。特に精神集中力や瞑想技法などは、成就法の実践を通じて修練することが可能です。

帰依と菩提心もまた、灌頂を受けてから、さらにレベルアップしてゆく必要があります。
しかし、この両者が精神集中力などと決定的に異なるのは、「もし帰依と菩提心が全然なければ、その人にとって、灌頂自体が全く成立しない」という点です。たとえ伝授会場に座っていても、物理的に身体がその場に存在しただけにすぎず、本当の意味で灌頂を受けたことにはなりません。
ですから密教伝授に際して、とにかく帰依と菩提心だけは、何よりも重要視しなければいけないのです。

菩提心といっても、正真正銘の非作為的な菩提心を発するのは、そう簡単でありません。
そこまでは無理でも、まず菩提心についてよく学び、「自分も菩提心を発したい」という真摯な願望を抱き、そのうえでよく瞑想することが大切です。
例えば、「因果の七秘訣」などの瞑想を重ねることにより、作為的な菩提心を確立できるようになります。
灌頂の法儀では、ラマが菩提心のお話をなさるはずです。その内容を聴聞しながら、作為的な菩提心を確立できれば、それを動機にして灌頂を受けられるわけです。
だから、灌頂を受けた後も菩提心のレベルアップに精進し、非作為的な菩提心を目指さなければいけません。これができたら、そのとき本当に密教の菩薩となるのです。

9月28日(月) 秋の密教伝授案内ページ

ポタラ・カレッジ会員の方々へは、だいぶ前から御案内していますが、大阿闍梨トクデン・リンポチェ猊下(大本山デプン寺ロセルリン学堂前僧院長・ギュトゥー寺元僧院長)をお招きし、10月前半に東京センターで密教伝授を行ないます。
大変遅ればせながら、本サイトにも案内ページを作りましたので、御覧ください。こちらです。
法話、灌頂、伝授に参加なさるためには、必ず事前のお申し込みが必要です。
案内書・申込書は、御請求があれば、会員以外の方へもお送りしますので、遠慮なくおっしゃってください。
お問合せは、TEL.03-3251-4090、info@potala.jpにて承わります。

このほどポタラ・カレッジ東京センターでは、床の絨毯を全面的に張り替えました。密教伝授の際も、以前より快適に御参加いただけるのではないかと思います。

9月24日(木) 秋からの定期講習案内ページ

大変遅くなってしまいましたが、10月後半から始まるポタラ・カレッジ定期講習の御案内ページを作りました。
こちらです。

東京センターでの新規開講コースは、「倶舎論と大乗阿毘達磨集論」(火曜18時30分~)、「チャクラサンヴァラ成就法」(水曜18時30分~)、「ヴァジュラヨーギニー成就法広本講読」(日曜11時~)、「前行道場 金剛薩埵」(日曜17時~)、「極楽誓願 チベットの浄土教」(通信受講専用)を予定しております。

その中で私の担当は、「ヴァジュラヨーギニー」です。
これの受講資格は、本尊の加持灌頂を受けていることですが、大阿闍梨からの成就法伝授は必須ではありません。
成就法の広本儀軌は、2007年2月にポタラ・カレッジで大阿闍梨チャンパ・リンポチェ師が成就法を伝授なさった際、詳しく解説してくださったテキストです。当時は、和訳が略本儀軌しかありませんでしたが、今回のコースを通じて広本を正確に訳出したいと思います。

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