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チベット死者の書

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パンチェン・ラマの死者の書

パンチェン・ラマ一世造 『中有隘路の救度祈願』

南無上師、妙音文殊師利菩薩。

三世にまします御仏と、法と僧伽の三宝へ、
我と虚空の如くなる、無数の衆生が残らずに、
覚りの境地を得る日まで、常に帰依し奉らん。
今生・後生・中有にて、恐れの淵より救い給え。

有暇具足せる人身は、得難く壊れやすきもの。
されば今こそ苦と楽の、分かれ道をば選ぶとき。
無意味な現世の雑事へと、心を散らすことなかれ。、
まことに意義ある心髄の、道を得るよう加持し給え。

集いし者は離散して、蓄財残らず尽くるなり。
高き地位とていずれ堕ち、生の終わりに死あるのみ。
それもいつ死を迎えるか、その時さえも定まらず。
かかる闇をば除くよう、心相続を加持し給え。

所取と能取の妄分別、迷乱の街をさまよえり。
不浄の四大の幻化せし、色蘊たるはこの身なり。
そこから意識が離れ去り、死へ至る縁の数々よ。
かかる障礙や苦難など、鎮まるように加持し給え。

いとしく守りしこの身なれど、臨終の時に頼りなし。
げに恐ろしき死神の、閻摩王に相まみえん。
わが三毒の剣にて、まさに絶たれんわが命。
そのとき不善の幻影が、現われざるよう加持し給え。

医者はさじ投げ諦めて、もはや祈祷も効きめなし。
蘇生を願う縁者らの、一縷の望みもついえたり。
我自身もいかように、なす術もなく床に伏す。
そのときラマの教誡を、憶念するよう加持し給え。

慳貪重ねし食と財、貯めて置き去る空しさよ。
悲嘆に暮れる縁者にも、とわの別れを告げるべし。
今や旅立つ時なれば、独り赴く淋しき地。
されど歓喜の心をば、堅固にすべく加持し給え。

地・水・火・風の四大から、順に衰え溶け込めり。
この身の力も抜け去って、口など渇き皺ばかり。
体の温もり収束し、息は乱れて音立てり。
されど善なる心をば、堅固にすべく加持し給え。

恐れと幻影様々に、生じて我を悩ましむ。
印しは順に唇気楼、煙に螢と現われり。
八十自性分別心、乗せる風も滞らん。
そのとき不死の真実を、了解すべく加持し給え。

風界すらも衰えて、意識へ溶け込み始めたり。
息は途絶えて所能取の、粗い二現も溶け込めり。
そのとき印しは灯し火が、燃ゆる如くに現われん。
されば強き憶念と、正知を得るよう加持し給え。

顕明・増輝・近得は、先から後へ溶け込めり。
月と日を経て暗闇の、広がる相が現われん。
そのとき輪廻と涅槃をば、空と覚る瑜伽をなさん。
如実に己れの在り方を、自ら知るよう加持し給え。

その近得もやがてまた、一切空へ溶け込めり。
妄分別や戯論など、全て鎮まり現われず。
その縁からも離るれば、秋晴れの如き虚空のみ。
そのとき母子の光明が、相まみゆべく加持し給え。

四空のときに現われし、明りに伴う内なる火、
チャンダリーで頭頂より、融けて流るる白き滴。
それで倶生の楽と空、合わせし智慧を生ずべし。
さればひたすら等引に、安住すべく加持し給え。

死の法身から立つときは、まさに光明そのものの、
風と心ばかりから、相好具えし身を生ず。
中有の円満受用身、今こそ生起すべきなれ。
そのとき如幻三摩地を、究竟すべく加持し給え。

されど業の力にて、中有を生ずることもあらん。
なれば直ちに生と死と、中有の相を観察せん。
その苦は真に存するや、さにあらざる理を覚るべし。
不浄の幻影浄化して、現わるるよう加持し給え。

四大の乱るる音声と、三つの恐れに苛まれ、
後生不定の印しなど、様々現われ来たるなり。
そのとき、外・内・秘密の、来世を転ずる瑜伽をなさん。
されば仏の浄土へと、転生すべく加持し給え。

空行持明の最勝なる、瑜伽成就者の身を得べし。
或は梵行三学を、具えし出家の身を得べし。
生起究竟の二次第の、道を了解し円満せん。
もって仏の三身を、速得すべく加持し給え。


【解説】これは、私たちが「パンチェン・ラマの死者の書」と呼んでいる教えです。パンチェン・ラマ一世チューキ・ギェルツェン大師がお説きになったもので、『中有隘路の救度祈願』bar do 'phrang sgrolといいます。中有の狭い道を通って輪廻から解脱する方法が提示され、これを読誦して修習を重ねることにより、死の恐怖を克服する勇気が得られます。人生の集大成として望ましい心安らかな臨終を実現すべく、元気なときから修行を積むためのテキストです。
後半では、無上瑜伽タントラの深遠な内容が説き明かされてします。しかしこのテキストでは、「~できるように加持してください」という表現になっているため、必ずしも高い境地の密教行者でなくても、これを読みながら瞑想できます。
ここに紹介した和訳は、クンチョック・シタル師の指導で、以前に齋藤保高が訳したものです。日本語で読誦する韻律を重視したため、原文の機械的な直訳ではありません。しかし、意味内容の面で、原文と相違はないはずです。

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