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ゲルク派の概要

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ゲルク派の概要

総本山ガンデン寺宗祖霊廟



 現在のチベット仏教には、四つの主要な宗派があります。それらの中で最大の勢力がゲルク派で、僧侶の人数では大多数を占めています。開宗の時期からみると、最も新しく成立した宗派です。ゲルクとは、直訳すれば、「善の流儀」という意味です。

宗祖ツォンカパ大師とその教え

 ゲルク派の宗祖は、ツォンカパ大師ロサン・タクパ(1357-1419)です。ツォンカパ大師の教えの特色を知るには、その時代背景を考慮する必要があります。

 インドからチベットへ仏教が本格的に伝来したのは、八世紀の後半です。国教として手厚く保護された仏教は、九世紀中頃の王朝崩壊で衰退したものの、十一世紀には復興の動きが活発化します。インド後期大乗仏教の総本山ヴィクラマシーラ寺からアティーシャ大師(982-1054)を招聘し、その指導のもとで再び仏教の学修が盛んになりました。そして、釈尊以来の長い年月に蓄積されてきたインド大乗仏教の本流、すなわちナーランダ寺やヴィクラマシーラ寺に伝わる顕教・密教の総合体系を、ほぼそのまま受容・継承したのです。インドから請来した数多くの仏典がチベット語に翻訳され、ブトゥン大師(1290-1364)などの尽力で、それらの文献的な整理も進みました。

 ツォンカパ大師は、そうした時代に生まれたのです。チベット仏教史上に於けるツォンカパ大師の果たした役割りは、しばしば「戒律復興」という形で紹介されています。それは正しいですけれど、ツォンカパ大師の数多くの事績の一面にすぎません。前述のような経緯でチベットへもたらされた顕教・密教の総合体系は、インド仏教の様々な伝統の成果を積み上げたもので、内容は巾広く多岐にわたり、しかも極めて深遠な教えを数多く含んでいます。およそ世界中のあらゆる宗教や思想哲学の中で、最も洗練された高度なものだといえるかもしれません。それらを比較的短期間で集中的に受容し、ようやく文献的な整理が進展した時期に、ツォンカパ大師は、インド伝来の顕教・密教の総合体系を内容面から徹底的に吟味し、明確な形で整理・再構成したのです。これこそ、ツォンカパ大師の事績として、最も重要なポイントだといえるでしょう。

 ツォンカパ大師は、チベットの既存の宗派を通じて伝えられてきたインド仏教の様々な教えを継承し、それらをインドの仏典と照合して検証したうえで、ゲルク派の教理・実践体系を確立しました。その中枢部分を形成しているのは、チベット仏教の中興祖師アティーシャ大師からの法流です。内容としては、「ラムリム(道次第)」と「ロジョン(心の訓練)」が中心です。この流れは、カダム派と呼ばれていましたが、ツォンカパ大師以降ゲルク派に合流した形になっています。

 ツォンカパ大師の二大主著は、『ラムリム・チェンモ(菩提道次第広論)』と『ガクリム・チェンモ(真言道次第広論)』です。簡単にいえば、前者は顕教の実践次第、後者は密教の実践次第を説いたものです。密教の視点から見るならば、前者は顕密共通の道次第、後者は密教独特の道次第ということになります。

 その他で特に重要な著作は、「入中論」の解説を通じて仏教哲学を詳細に論じた『中観密意解明』と、「グヒヤサマージャ」聖者流究竟次第の奥義を説き明かした『五次第明灯』です。ゲルク派の伝統教学では、この二書こそが、顕教と密教の究極的な教えと位置づけられます。ツォンカパ大師の顕密の様々な著作は、十八巻の全集にまとめられています。

 宗祖ツォンカパ大師によって確立されたゲルク派教学の特色をごく簡単に垣間見るならば、インド伝来の仏教哲学を説一切有部・経量部・唯識派・中観派という四段階に整理し、中観派の中でも帰謬論証派(プラサーンギカ)の見解を究極のものと位置づけています。説一切有部や経量部の学説に基づくアビダルマ、経量部や唯識派に基づく仏教論理学、唯識派や中観自立論証派(スヴァータントリカ)に基づく修道論などを学びつつ、最終的にそれらを中観帰謬論証派のレベルに昇華させる点が、ゲルク派教学の妙味です。例えば、『般若心経』の「五蘊皆空」という経文についても、こうした各段階の解釈を、重層的に設定できるということです。

 ゲルク派の実践体系は、小乗・大乗・密教という三重構造になっており、密教に関しては、所作・行・瑜伽・無上瑜伽という四部タントラの段階を設定しています。最奥義となる無上瑜伽タントラの中でも、「グヒヤサマージャ(秘密集会)」聖者流を特に重視し、あらゆる仏法の頂点に位置づけています。これを「チャクラサンヴァラ(最勝楽)」で補い、さらに宗祖と宗門の守護尊である「ヤマーンタカ(金剛怖畏)」によって支えるというのが、ゲルク派密教の特色たる三大本尊の行法体系です。

 修行者個人の実践としては、この三大本尊の行法こそが至高のものです。しかし、社会的な意味あいを考慮に入れると、「カーラチャクラ(時輪)」の役割りも重要になります。ダライ・ラマ十四世法王は、世界平和の祈りを込め、各地で「カーラチャクラ」の大灌頂を厳修しています。

宗祖の直弟子とガンデン座主

 宗祖ツォンカパ大師の直弟子の筆頭にあげられるのは、ギェルツァプ大師タルマ・リンチェン(1364-1432)と、ケートゥプ大師ゲレク・ペルサン(1385-1438)です。ゲルク派の寺院には、宗祖とこの二人の直弟子の像が、三尊形式で安置されています。他の直弟子としては、シェーラプ・センゲ大師(-1445)や、ダライ・ラマ一世ゲドゥン・トゥプ大師(1391-1476)などが有名です。

 ゲルク派の管長はガンデン座主といい、宗祖ツォンカパ大師、ギェルツァプ大師、ケートゥプ大師の順に師資相承され、現在は第百二世のリゾン・リンポチェ猊下です。現行の制度では、ガンデン座主職の任期は原則七年間となっています。

 ゲルク派の副管長は、チャンツェ法主とシャルツェ法主で、交互に次のガンデン座主職に就く決まりになっています。チャンツェ法主には、ギュメー寺の元僧院長の中で最長老が就任します。シャルツェ法主には、ギュトゥー寺の元僧院長の中で最長老が就任します。

 ダライ・ラマは、もともとゲルク派の転生活仏でしたが、ダライ・ラマ五世法王がチベット全土の政教両面の最高指導者とされたため、以後は宗派の枠を超越した立場になっています。従って、「ダライ・ラマ法王はゲルク派に属している」とか、「ゲルク派の最高位はダライ・ラマである」という言い方は、あまり正確ではありません。ゲルク派の宗門を統括する管長職は、宗祖の時代から今日に至るまで、歴代のガンデン座主が一貫してその任にあたってきたのです。

ゲルク派の僧院

 ゲルク派の総本山は、宗祖ツォンカパ大師御自身が1409年に開山したガンデン寺です。その他の大本山としては、ツォンカパ大師の在世中に直弟子たちが開山したセラ寺とデプン寺が筆頭格で、ガンデン寺と合わせて三大本山と呼ばれています。いずれも、聖都ラサの近郊に位置しています。これらにシガツェのタシールンポ寺を加えて四大本山、さらにアムド地方(東北チベット)のクンブム寺とラプラン・タシーキル寺を加えて六大本山と称する場合もあります。

 こうした大本山は、幾つかの学堂(タツァン)によって構成されています。例えば現在のデプン寺には、ロセルリン、ゴマン、デヤン、ガクパの四学堂がありますが、初期には七つの学堂があったといいます。各々の学堂は、僧院としての機能を完全に具えており、事実上独立した寺院と見做してよいぐらいです。一つの学堂には、僧侶の出身地ごとに、多数の学寮(カンツェン)が設置されています。学寮は、僧侶たちの日常生活の拠点であるとともに、一番身近な学修の場でもあります。昔の三大本山の僧侶の数は、公称でガンデン寺が三千三百人、セラ寺が五千五百人、デプン寺が七千七百人といわれていましたが、実数はそれより多かったようです。

 大本山各学堂に於ける現行の教学体系を確立した学僧を紹介するならば、デプン寺ロセルリン学堂とガンデン寺シャルツェ学堂がパンチェン・スーナム・タクパ(1478-1554)、デプン寺ゴマン学堂とラプラン・タシーキル寺がジャムヤン・シェーペー・ドルジェ(1648-1721)、セラ寺チェーパ学堂とガンデン寺チャンツェ学堂がセラ・ジェツン・チューキ・ギェルツェン(1464-1544)、セラ寺メーパ学堂がチョネ・タクパ・シェードゥプ(1675-1748)、タシールンポ寺がパンチェン・ラマ一世ロサン・チューキ・ギェルツェン(1572-1662)の流儀となっています。

 大本山とは別に、最高格式の密教道場として、ギュメー寺とギュトゥー寺がラサ市内にあります。いずれも単一学堂の僧院で、前述の三大本山よりずっと小規模です。

 ダライ・ラマ十四世法王がインドへ亡命してから、こうしたゲルク派の僧院も亡命先で再興されています。ガンデン寺とデプン寺はインド南部カルナタカ州ムンゴットに、セラ寺とタシールンポ寺は同州バイラクッペに、ギュメー寺は同州フンスールに、ギュトゥー寺はインド北部ヒマチャルプラデシュ州ダラムサラ近郊に、それぞれ再建されています。

南インドに再建されたセラ寺チェーパ学堂


僧院の教育課程

 大本山に於ける僧院教育課程は、宗祖ツォンカパ大師の教えを学修するものですが、前述の主著『ラムリム・チェンモ』などを直接講読するわけではありません。つまり、宗祖によって説かれた最終結論をすぐに学ぶのではなく、宗祖がそのような結論へ至った学修プロセスを追体験する点に主眼が置かれているのです。具体的には、インド撰述の諸聖典について、師僧(ラマ)の講伝を聴聞してから、その理解を深めるために問答を徹底的に繰り返します。こうして得られた見解を、理論だけでなく体験的に会得するためには、瞑想の実践も欠かせません。熟練した僧侶たちは、様々な法要や勤行などの機会を、瞑想の実践に活用できるといいます。より本格的な瞑想は、各自の個人的な修行に委ねられているようです。

 問答を中心とした僧院教育を受けるには、まず最初に入門課程として、ドゥータ、ロリク、タクリクの三段階を学ぶ必要があります。これらは順に、存在論、認識論、論理学と位置づけられます。ドゥータでは、認識対象たる諸存在の分類や関係性などを学びます。ロリクでは、認識主体たる心について分析します。そしてタクリクでは、推論認識によって対象を正しく理解する方法を学びます。

 入門三課程の次は、般若学です。これは、弥勒菩薩の『現観荘厳論』やその註釈などを通じて、「般若経」の行間に隠れた意味を考察しようという内容です。この課程では、仏教に関する巾広い知識を学びますが、中でも五道・十地の修道論(サラム)が中心課題となります。数年間かけて般若学を修了すると、次は中観学に進みます。この課程では、チャンドラキールティの『入中論』などを通じて、「般若経」の明らかな意味、すなわち空性と縁起について徹底的に考察を深めます。この段階で、中観帰謬論証派の見解に対する正確な理解を確立し、今まで学んできた様々な内容も、その立場から整理し直す必要があります。この般若学と中観学こそが、大本山に於ける僧院教育課程の中心となるものです。またこれらと併せて、ダルマキールティの『量評釈』などを通じ、仏教論理学についても詳細に学びます。

 さらに上級課程では、アビダルマや律学などを学びながら、般若学と中観学の内容を復習して理解をさらに深めます。このようにして大本山に於ける僧院教育課程を修了すると、問答による試験を経て、ゲシェー(仏教哲学博士)の学位を取得できます。

 ゲシェーとなってから、さらに密教の徹底的な学修を希望する僧侶は、ギュメー寺かギュトゥー寺へ入ります。そこでは、前述の三大本尊の行法について、諸タントラやその註釈類をもとに深く学んで修行します。こうしてギュメー寺やギュトゥー寺の課程を修了したら、主要僧院で後進の指導にあたり、本人の学徳次第で僧院長となる可能性もあります。特に、ギュメー寺やギュトゥー寺の僧院長に就任したら、前述のチャンツェ法主、シャルツェ法主を経てガンデン座主となる道も開かれます。

顕教と密教の学修について

 よくチベット仏教の概説書で、「ゲルク派では、顕教の学修を修了した一部の優秀な僧侶たちだけが選ばれ、密教の学修を許される」などと語られているようですが、一般論としてそのようなことはありません。「顕教の学修を修了した優秀な僧侶たちが、密教の学修を許される」という意味は、宗門の指導者を養成するエリートコースのカリキュラムに於ける顕密の学修の順序を言っているにすぎません。「ゲルク派の密教を学修する機会自体が、一部の選ばれた僧侶だけにしか開かれていない」というのは、完全な誤解です。こうした点は、部外者には非常に分かりにくいため、誤った情報が独り歩きしてしまうのかもしれません。

 例えば、ギュメー寺やギュトゥー寺に所属している僧侶の多くは、大本山でゲシェー位を取得してから入門するエリートコースではなく、最初からギュメー寺やギュトゥー寺に入門しています。彼らは、声明や砂曼荼羅などの技能に熟練し、密教法儀の実際の運営を支えています。もちろん、それと同時に密教の教理・実践を深く学修することも可能で、そうした僧侶たちの中から非常に優れた瑜伽行者も現われています。また、大本山の学修課程の途中でも、個人的に密教の教えを受けて実践することは可能です。特にガンデン寺では、僧院のカリキュラム自体が、ある程度顕密併修的になっています。

 ただいずれにしても、密教の学修に先だって、何らかの形で顕密共通の道を修練することは、絶対に欠かせません。大本山の学修課程を学ばない場合には、「ラムリム」などを通じて顕教の内容を学修する必要があります。顕密共通の道を全く修練せずに、密教独特の道だけを実践するならば、宗祖の考えと完全に反することになるからです。

ゲルク派の教えを学修するために

 私たち日本人が、在家の立場でゲルク派の教えを学んで実践するためには、どうしたらよいでしょうか? ゲルク派大本山の僧院教育課程を、私たちがそのまま取り入れて実践することは、ほとんど非現実的でしょう。大本山の僧侶たちと同様の問答を行なうためには、極めて膨大な量の典籍を暗誦しなければなりません。それは、時間的に無理だと思います。しかし、僧院教育課程の中身をよく検証し、そのエッセンスを掴み取ることは、日本国内でも十分に可能です。

 仏教の学修に多大な時間を費やせないことを前提で考えるならば、まず教えの枠組みとして「ラムリム」をよく学ぶ必要があります。その中でも特に大切なポイントは、帰依・出離・菩提心の三点と、空性理解の確立です。菩提心を修練するためには、カダム派が伝えてきた「ロジョン」を実践するのも効果的でしょう。空性理解のためには、中観哲学を様々な方法で学ぶ必要があります。これらは、顕密共通の道の内容です。

 共通の道の具体的な瞑想としては、「ガンデン・ラギャマのグルヨーガ」や「ユンテン・シルキュルマ」などが適しています(『実践・チベット仏教入門』第四章pp.169-205に収録)。これらを前行として修行してから、御縁に応じて密教の灌頂を受法することになります。無上瑜伽タントラの大灌頂を受けたら、「六座グルヨーガ」を毎日昼夜に修行する必要があります。これは、灌頂の法儀で授かった菩薩戒や三昧耶戒を保持するための修行です。律儀の違越を浄化するため、金剛薩埵の百字真言を念誦するなど、懺悔の修行も欠かせません。そのうえでさらに、生起次第と究竟次第の内容を学び、成就法を行じて本尊ヨーガを実修することができれば、大変素晴らしいと思います。

◎ ゲルク派の実践体系の全貌を概観するには、拙著『チベット密教 修行の設計図』を御覧ください。

◎ 中観学や般若学をのエッセンスを学ぶには、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ、クンチョック・シタル、齋藤保高共著『チベットの般若心経』(春秋社)がお奨めです。

◎ 「ロジョン」を学ぶには、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著『八つの詩頌による心の訓練』(ポタラ・カレッジ チベット仏教叢書2/チベット仏教普及協会)、及びゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ、藤田省吾共著『チベット密教 心の修行』(法蔵館)がお奨めです。

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