ギュトゥー寺での密教学修3
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ギュトゥー寺での密教学修 2017
2017年8月、主として個人的な学修のため、北インドのギュトゥー寺を訪れました。2012年の初訪問以来、'14年、'15年に引き続き、今回は4回めの訪問となります。
ギュトゥー寺には、私を指導してくださる善知識として、二人の素晴らしい恩師がいらっしゃいます。事相の第一人者であるゲン・ゲドゥン・ツェリン大阿闍梨と、教相の第一人者であるゲシェー・ララムパ・ケートゥプ・ノルサン師です。
2012年に初めて訪れたときは、ゲン・ゲドゥン師から、「ヤマーンタカ 」一尊の自灌頂儀軌、及び「グヒヤサマージャ(秘密集会)」聖者流成就法広本の行法を、ギュトゥー寺の流儀に則して伝授していただきました。'14年の訪問では、ゲシェー・ノルサン師から、「ヤマーンタカ」究竟次第について、ギュトゥー寺の教学体系を確立したゴムデ・ナムカ・ギェルツェン大師の解説書をもとに伝授していただきました。'15年には、ゲン・ゲドゥン師から、「チャクラサンヴァラ」ルーイーパ流成就法広本の行法を指導していただきました。そこで今回は、ゲシェー・ノルサン師から「チャクラサンヴァラ」ルーイーパ流の生起・究竟二次第について学ぶことが主な目的です。
ギュトゥー寺は、チベットの聖都ラサの中でも由緒ある古刹ラモチェ寺の境内に、ゲルク派の最高格式の密教専修道場として開かれた僧院です。今日の亡命チベット人社会に於ては、北インドのダラムサラ近郊、ヒマラヤに連なる山々の麓に再建されています。
ダラムサラとギュトゥー寺の一般的な紹介、及びゲン・ゲドゥン師による伝授の様子については、2012年の記録に詳しく書いてあるので、そちらをお読みいただければと思います(ここをクリックしてください)。
また、ゲシェー・ノルサン師との出会いや伝授の模様については、2014年の記録に書いてあるので、併せて御覧いただけると幸いです(ここをクリックしてください)。
2015年に訪れたときは、ギュトゥー寺での滞在期間が短かく、伝授の内容以外は、上記2つのレポートで既に紹介したこととあまり変わらないため、特にページを作りませんでした。
今回も基本的に同じ状況ではありますが、少し滞在期間が長かったことと、前2回のレポート以来だいぶ年月を経ていることもあるので、少し趣向を変え、旅行の情報と写真を多めに載せて記録ページを作ることにしました。
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日本からダラムサラへ行くには、他に寄り道する予定がなければ、デリー経由が一番便利です。デリーからダラムサラへの行き方は、いろいろな選択肢があるけれど、いずれも一長一短で王道はありません。
一番確実なのは、夜行バスです。デリー北部のチベット人街マジュヌカティラからダラムサラまで、直行の夜行バスが一晩に何台も走っていて、大概のチベット人たちはこれらを利用しています。夜行バスのメリットは、天候等に左右されにくいこと、夕方出発して早朝に着くので日にちを有効に使えること、大抵は直前でもチケットを入手できること(ダライ・ラマ法王の御法話のときは、早めに予約した方が無難だと思います)、経済的なこと(一番デラックスなバスでも900ルピー程度)など。デメリットは、安眠できないため疲れがたまることです。インド旅行では、予期せぬトラブルの連続で疲労が蓄積し、体調を大きく崩してしまうケースも多々あります。私の一番の目的は、インドの旅を楽しむことではなく、あくまで仏教の学修です。だから、ギュトゥー寺へ着くまでは、できるだけ快適な方法を選びたいと考えています。なので、往路の夜行バスは、なるべくなら避けたい選択肢です。
では、一番快適な方法は何かといえば、やはり飛行機でしょう。デリーから僅か1時間程度のフライトで、ダラムサラの空港へ降り立つことができます。現在は、エアー・インディアとスパイス・ジェットの2社が、1往復づつ運行しています。しかし空路には、大きな欠点があることも承知しておくべきです。ダラムサラ(ガーガル)空港は小規模なので、小型のプロペラ機しか就航できません。そのため、ちょっとした悪天候でも、すぐ欠航になってしまいます。いつも私が訪問している8月は、モンスーンの影響で天気が悪く、自分の直接の経験だと、フライトキャンセルの確率が5割を超えています。これでは、まともに旅程を組むこともできません(欠航になった場合、速やかに夜行バスへ切り替えられるよう、あらかじめ想定しておくのが賢明だと思います)。夜行バスと飛行機のメリットとデメリットを中和したような選択肢が、鉄道とタクシーを乗り継ぐ方法です。今回の往路は、これにしてみたので、少し詳しく紹介してみましょう。
前に述べたように、インド旅行で私が一番気をつけているのは、目的地までなるべく快適で楽に移動することです。特に最近は、年齢的にも無理は禁物なので、デリーに到着した当日だけは、少し良いホテルに泊まるようにしています。今回は、中心街コンノートプレイスの近くにあるコロニアル風のレトロなホテル、ジ・インペリアルにしてみました(8月はオフシーズンのため、かなり割引きなります)。ここは、建物や内装、家具や調度品など、英印政庁時代の名残りを留める物が数多くあり、居るだけで楽しめる空間です。廊下などはピカピカに磨きあげられ、正装でないと一歩入るのも気がひけるような雰囲気だけれど、我々外国人旅行者の場合は、普段着でノンビリ寛いでいても全然問題ありません。一旦慣れてしまえば、とても快適な場所です。
一泊した翌日、自分の乗る列車は夜だから、一日中暇があります。市内観光へ行こうかと思ったけれど、強い雨が断続的に降っていたため、初日から濡れたり消耗するのは嫌なので、ずっとホテルに籠もることにしました。吹き抜けのティールームに長居してテキストを予習したり、勉強に疲れたら展示してある昔の絵や写真を見て回るなど、ゆったりした時間を過ごすことができます。
そして夕方、タクシーでオールドデリー駅へ向かいました。道中、デリー市街で最も混沌とした一帯を通り抜けます。今まで居た別天地のような場所とは正反対の雰囲気で、そのギャップはあまりにも強烈です。しかし途中で、鮮やかにライトアップされたラールキラー(ムガル帝国の宮殿)の城壁やジャーマー・マスジット(インドで最大のモスク)のドームが車窓に浮かびあがったのは、一瞬のことだけにとても感動的でした。
オールドデリー駅は、いつも相当混雑していて、まさに喧騒渦巻く世界です。私は経典などが入った大きいスーツケースを転がしているので、普通ならポーターが駆け寄って来るはずなのですが、その夜はどういうわけか全然来ません。来ない方が余計な出費がなくて済むのだけれど、ホームや乗車位置が全く分からないので、ポーターの助けを借りた方が便利なことは確かです。仕方ないから、警官や鉄道員らしき人たちに何度か尋ね、やっと待つべき場所を見つけた頃、長大編成の列車が推進運転で入線して来ました。
急行「ジャムー・メール」、オールドデリー駅を20時10分に発車し、インド北西端の要衝ジャムーへ翌朝に着く夜行列車です。インド国鉄のEチケットは、自宅のPCで購入できるから、とても便利ではあります。但し、Eチケットには号車番号等が記載されていないので、ホームで戸惑うことになってしまいます。でも、私が予約したAC1というコンパートメントの寝台車は、1両しか連結されていないため、言われた場所で待っていれば大丈夫。親切なインド人乗客の手助けもあり、何とか自分の部屋へ乗り込むことができました。インドの長距離列車の座席や寝台は、エアコン付き(AC)と無しとに大きく分けられます。8月は雨期でさほど暑くないから、エアコンは無くてもあまり問題ありません。ですがインドでは、列車やバスや宿屋など何でも、エアコンの有無によって厳然とした等級の差が設けられ、エアコン無しだと安価な代わりに大変な混雑に見舞われ、恐ろしく窮屈な思いをすることもあります。なので、私のように不慣れな外国人旅行者は、ACを選んでおいた方が無難だといえるでしょう。ACにも座席車と寝台車がありますが、「ジャムー・メール」は夜行列車だから、ACの客車は寝台車だけになります。それも3段のAC3、2段のAC2、コンパートメントのAC1という3等級に分かれています。コンパートメントといっても2段寝台なのですが、個室になっていて入口を施錠できます。4人部屋と2人部屋があり、いずれにせよ部屋単位で予約できるわけてけはないから、他の乗客と同室になるのが前提です。なので、必ずしもAC1の方がAC2やAC3より快適とは言い難いのだけれど、自分の場合は一人旅で大きい荷物があるため、スペースが広くて施錠できるAC1を選びました。今回はたまたま、2人部屋を一人で使えましたが、これは偶然の幸運にすぎません。私は鉄道が好きなので、本当は先頭の機関車を見に行きたいのですが、スーツケースが心配で諦めました(コンパートメントでも、外からは施錠できません。トイレなどへ行くときは、貴重品を入れた小さいバッグを身につけ、列車走行中にさっと済ませるようにします)。ジャムー方面への路線は幹線で電化されており、この列車は客車20両以上の長大編成だから、電気機関車の大型機か重連ではないかと思います。
列車は、ほぼ定刻にオールドデリーを発車しました。機関車が引っ張る客車列車に独特の緩慢な加速感、レールの音と振動だけが響いてくる感触など、新幹線時代の日本ではもう体験できない鉄道旅行の醍醐味だといえるでしょう。こういう実用的な寝台列車は、JRではほとんど廃止されているだけに、懐かしさがこみあげてきます。寝台のシーツや毛布を自分で敷いていたら、掛員がやって来て、ビシッと折り目をつけて綺麗に敷き直してくれました。チップをせびられたのがインドらしいけれど、お蔭でAC1の理想的な寝台の状態を写真に撮ることができました。彼は、私が降りるまで何かと気を遣ってくれ、いろいろ助かったのも事実です。
今回は個室を独占できるなど好条件に恵まれたこともあり、夜は快適に熟睡できました。寝台車の音と揺れは、かえって眠りやすくなるものです。ところが早朝に、妙な違和感があって目が覚めました。かなり長い間、列車が非常に低速で走行しているのです。まるで急勾配をゆっくり登っているような感じだけれど、この路線はほとんど平坦のはず。やがてどこかの駅に停車し、後続の列車に追い抜かれ、また次の駅にも停まって抜かれる・・ということを繰り返し、遂にある駅で長時間停車してしまいました。どうやら機関車の具合が良くないみたいです。随分待ってから、やっと走り出しましたが、既に2時間ほど遅れています。そして、私が降りるパタンコット・キャンティPathankot Cantt.の一つ手前の駅で、またもや長時間停車。結局5時間半の遅れとなり、10時40分頃にやっと到着です。
鉄道を降りてダラムサラへ向かう玄関口は、パタンコットです。パタンコットの街には、パタンコット駅と、パタンコット・キャンティ駅(旧称チャッキバンク駅)があるので、注意が必要です。最近の急行列車の大半は、キャンティ駅の方に停まります。パタンコット駅からは、カングラ峡谷鉄道という軽便鉄道が分岐していて、ダラムサラのわりと近くまで行くこともできます。2012年にはそのルートを使ってみたのですが、途中から物凄い混雑で苦労したので、今回は直接タクシーで行くことにしました。キャンティ駅で降りるのは初めてだから、少しばかり不安な気持ちです。
駅のホームでは、AC客車の前にポーターたちが待ち構えています。階段のみの跨線橋があって大変そうだから、躊躇なくポーターにスーツケースを預けると、駅前のタクシースタンドまで連れて行ってくれました。多少の出費で、不案内な場所の乗り継ぎがスムーズに出来るのは、有難いことだと言えるでしょう。タクシースタンドは、駅舎を出てすぐ正面にあります。ダラムサラ周辺のタクシーは、最近では料金表による定額制となっており、面倒な値段交渉は必要ありません。私の行き先はギュトゥー寺ですが、そう告げても分かりにくいので、「カルマパ・テンプル」と言います。チベット本土から亡命された第十七世カルマパ猊下が、いろいろ複雑な事情があってギュトゥー寺を仮の居となさっているため、その地を訪れる外国人の大半は、カルマパ猊下との謁見がお目当てのはず。だから、タクシードライバーたちには、「カルマパ」と言った方がずっと分かりやすいのです。キャンティ駅からギュトゥー寺までのタクシー代は2,100ルピー(約4,000円)、かなり長距離の山道を3時間以上走るのだから、まあそんなものかなという値段です。一昔前の感覚からすると相当高いかもしれませんが、最近のインドの物価水準は急速に上がっています。以前なら、現地の様々な物やサービスの値段は、単純に為替レートで円に換算すると、日本の十分の一以下というのもザラでしたが、今やそういう金銭感覚だと恥をかくことになりかねません。
車はパタンコットの街を抜けると次第に山の中へ分け入り、素晴らしい眺めの場所をときどき通ります。わりと晴れていて快適なドライブでしたが、数日後にはモンスーンの豪雨で大規模な土砂崩れが発生し、パタンコット近くの道路で多くの死傷者が出てしまったようです(ダライ・ラマ法王も、哀悼のメッセージを発表なさっておられます)。このあたりの山々は、ヒマラヤに連なる山岳地帯の麓にあたり、地形のスケールがとても大きく感じられます。つづら折りの坂道をひた走り、少し開けた場所に街が現われ、そこからまた山道へ入ってゆく・・というパターンを何度も繰り返し、ようやく見覚えのある風景が目に入ってきました。午後2時すぎ、ギュトゥー寺に到着です。
ギュトゥー寺の周辺は、このあたりにしては珍しく、山裾に平坦地がわりと広く開けています。そこから山へ向かう緩やかな斜面に、ギュトゥー寺の境内が広がっています。山門をくぐってすぐのところにある建物が、来客用の宿坊です。1階(日本風の数え方)に食堂があり、そこの受付に座っている僧侶が、宿坊棟全体の責任者です。私は寺務所を通じて頼んでいたから、彼に挨拶しただけで、すぐに部屋へ通してもらえました。ちょうどその時期は、カルマパ猊下が御不在のため、宿坊はガラ空きだったようです(カルマパ猊下がいらっしゃると、台湾などの信者たちでほぼ満室になります)。私が滞在することになったのは、2階の一番奥の部屋です。窓からは、伽藍の様子がよく見えます。2人部屋を一人で使えるから、片方のベッドに経典や本を広げて勉強でき、とても便利です。
この宿坊は、1泊400ルピー。以前に比べるとだいぶ値上がりしたけれど、それでも非常に安い値段設定です。支払いは、長期滞在でなければ、帰るときに一括して払います。各部屋ごとに洋式水洗トイレとシャワーがあり、お湯も出るから快適です。ただ水質はかなり悪く、白いカップに溜めてみると、濁っているのが歴然とします。部屋にエアコンはありませんが、8月の室内気温は25℃ぐらいだから、天井の扇風機で十分です。到着した日は、天気が良かったにもかかわらず、数時間に渡って停電していました。ただそれ以降は、大雨のとき一時的に停電することが数回あった程度です。水タンクが空になって断水することもありますが、これはじきに溜まれば回復します。断水の前後は、水質がさらに悪化するから要注意です。食堂の隣りに売店があり、ミネラルウォーターなど生活必需品を買えます。
この時期の滞在で一番困るのは、湿気の多さです。到着して間もなくの頃は、室内の湿度が80%以上ありました。こうなると、タオルや洗濯物は、なかなか乾きません。だから私は、下着類やTシャツなどをたくさん持参し、洗濯をなるべく減らすようにしています。その他、日本から持っていった方がよいのは、トイレットペーパー。1階の売店でも買えますが、分厚くて水に溶けにくいため、排水管の詰まる原因になります。それで各部屋には、紙類を水洗トイレに流さないように注意書きが貼ってあるのですが、日本のものならば流しても全然問題ありません。あと、停電対策として懐中電灯や、電気プラグのアダプターも必需品です。最近のインドのホテルでは、日本のプラグをそのまま差し込める場合も多いのですが、この宿坊のコンセントだとそうはいきません。いろいろ荷物が多くなるのは、旅慣れないイメージで格好悪いかもしれませんが(笑)、私は経典や本などでいずれにせよ大荷物になってしまうから、もう開き直って気にしないようにしています。むしろ、荷物が多いことを前提に、なるべく長時間は持ち運ばずに済む段取りを考えた方が賢明でしょう。
さて、宿坊で生活ができるように荷物を開いて一応の準備をしたら、寺務所へ御挨拶に行きます。寺務所は、本堂へ向かって右手前の建物の2階にあります。ギュトゥー寺の僧院内のことは、基本的に寺務所の執事たちが責任をもって運営管理しているので、ここに滞在して学修するというからには、まず寺務所へ到着の挨拶をするのが筋です。執事の僧侶たちは数年の任期で交替しますが、幸い2年前の訪問でお世話になった方がまだ在任していたため、最初から打ち解けてお話しすることができました。私はこのとき、少しばかりのお布施を、僧院への供養として納めるようにしています。それは、必ず決まっているわけではないし、まして寺務所側から要求されるようなことは決してありません。宗教的には、この上ない密教の僧伽に対し、自利の行として供養させていただくということです。また世間的に考えれば、曲がりなりにも経済的に恵まれている日本から来て、ここでいろいろお世話になるのだから、何がしかの寄付をするのは当然だと思います。寺務所で頂戴するミルクティーはとても美味しく、いつも勧められるままにおかわりしてしまうほどです。
寺務所への挨拶が済んだら、次は本堂の参拝です。入口で五体投地をしてから、右回りにお参りします。内陣は、中心の御本尊が釈迦牟尼仏。向かって左側には、宗祖ツォンカパ大師御師弟、開山クンガ・トゥントゥプ大師、ラモチェ寺ゆかりのチョヲ・ミキュー・ドルジェなどの尊像が安置されています。向かって右側には、グヒヤサマージャ、ヤマーンタカ、チャクラサンヴァラの父母尊像が並んでいます。無上瑜伽タントラの三大本尊が内陣に整然と安置されているのは、ゲルク派密教の専修道場たるギュトゥー寺ならではのことです(本堂内陣の諸尊像について詳細は、2012年のレポートを参照してください)。私が今回学修させていただくテーマは、「チャクラサンヴァラ」二次第ですから、その尊像の御前では特に丁重に礼拝しました。
向かって左から、ヤマーンタカ、グヒヤサマージャ、チャクラサンヴァラ。
三大本尊の手前には、「チャクラサンヴァラ立体曼荼羅」が安置されています。これは、2012年の初訪問以来、建立の過程をつぶさに見学してきたものだから(2014年のレポート参照)、遂に完成して本堂内で拝観できるのは感無量です。最外周の八大屍林は、2015年に訪れたときはまだ作られていなく、今回初めて目にしました。成就法に於ける曼荼羅の観想で、屍林はイメージしにくい部分なので、立体像で見学できるのはとても参考になります。
チャクラサンヴァラ立体曼荼羅。楼閣本体の屋根が三重の同心円状になっているのが特色。
本堂の参拝を終えて宿坊へ戻ろうと歩いていたとき、図書館棟から大勢の僧侶たちがこちらへ出て来ました。その先頭に、今回教えを受ける恩師、ゲシェー・ケートゥプ・ノルサン師がいらっしゃいます。とりあえず立ち話で簡単に御挨拶し、後で御自房へ伺うお許しをいただきました。この時期ゲシェー・ノルサン師は、毎日図書館棟の講堂で、三大本山から密教の学修に来ているゲシェーたちを対象に、ツォンカパ大師『安立次第解説』の講伝を授けていたのです。これは、「グヒヤサマージャ」聖者流の三身修道に関する詳細なテキストとしてよく知られています。
夕食を済ませて夜になってから、改めてゲシェー・ノルサン師の御自房へ伺い、カタを捧げて正式に御挨拶し、併せて「チャクラサンヴァラ」ルーイーパ流二次第の伝授を勧請しました(前もってのお願いは、前回訪問したときにお伝えしてあります)。伝授の正行となる究竟次第の方は、ツォンカパ大師の『瑜伽自在者ルーイーパ流チャクラサンヴァラ究竟次第 大瑜伽教導次第の要略』をテキストとすることが、既に決まっています。前行となる生起次第関しては、このとき相談して、パンチェン・ラマ一世チューキ・ギェルツェン大師の「成就法広本儀軌」に基づき、我生起の実践理論を教えていただくことになりました。前に述べたとおり、ゲシェーは『安立次第解説』の講伝を毎日なさっているため、私への伝授は原則として夜間に行なってくださるということで、翌日の晩からいよいよ伝授の始まりです。 (続く)
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