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ダライラマ講演

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ダライ・ラマ法王、現代日本へのメッセージ

齋藤保高
チベット仏教普及協会《ポタラ・カレッジ》事務局長



 チベットの政教両面の最高指導者であるダライ・ラマ十四世法王が、チベット問題を考える議員連盟(代表・牧野聖修衆議院議員)の招聘により、平成十五年十月三十一日から十一月十一日まで来日されました。その間、一般向の行事として、東京と奈良で講演会がありました。筆者は、十一月一日と二日に東京の両国国技館で行なわれた御講演を拝聴する機会を得たので、その様子などを簡単に紹介してみたいと思います。

世界平和は一人一人の心から

 一日めの講演「慈悲の力」は、主に若い世代を対象としたものです。法王は、教育・科学技術・平和・南北問題という四つの課題をあげ、人類社会のあるべき方向性をお説きになりました。その中で、世界平和へのアプローチとして、「今すぐには非現実的かもしれませんが」と前置きしてから、四段階の具体的な提案を示されました。それは、核兵器の全廃・武器取引の禁止・攻撃的兵器の廃棄・軍事力の地域統合というものです。

 こうしたアプローチを本当に実現するためには、結局のところ、私たち一人ひとりが慈悲の心を育み、実践してゆくしかありません。法王は講演で、この点を強調なさっています。ここでいう「慈悲の心」とは、他者の幸せを尊重し、他者の苦しみを思いやり、対話と歩み寄りの精神をもって日々の生活を送ることです。そんな個人単位の善き心がけなど、激動する国際情勢の前では、あまりにも小さく無意味な存在ではないでしょうか。私たちは、ついそう思ってしまいます。しかし、戦争にしてもテロにしても、それらは個人個人の心の動きの集積として、網の目のような複雑な因果関係の中で生じてくる現象なのです。

 それならば逆に、私たちが慈悲の心を育み、その輪を広げてゆくことも、やがて大きな影響力をもつようになり、未来の平和に結びつくはずです。これから益々、戦争やテロが頻発するかもしれないけれど、いかに悲惨な現実に直面しても、無力感に襲われて意気消沈していては何も解決しません。状況が悪ければ悪いほど、その対抗手段となる慈悲の力も強くなる必要があります。法王が世界各地で「慈悲の力」をお説きになっているのも、そのことを率先垂範なさっているのだと思います。

放っておけば怒りは消える?

 この日の講演の最後に、質疑応答が行なわれました。「法王も、怒ることがありますか? もし怒りの心が起きたら、どうすればよいのですか?」という質問に、法王は半ば冗談まじりで、「放っておきます。そうすれば、怒りは自然に消えてなくなります」とお答えになりました。もちろん、私のような凡人は、強い怒りを放置しておいても、そう簡単に解消できるものではありません。時間の経過とともに、かえって憎しみが増大することさえあるでしょう。

 「放っておけば消えてなくなるとは、何と羨ましいことか」。そう考えると、法王の真意が見えてきます。笑いながらお答えになった言葉で、私たちの当面の努力目標を、さりげなく示してくださったのです。

 仏教の教理からすれば、「怒り」は煩悩であり、最終的には完全に断滅しなければなりません。しかし、神妙にお経を誦えて慈悲の心を瞑想しても、外へ出て嫌なことがあれば、たちまち心が苛立って怒ってしまう・・・。仏教を学び実践しているといっても、私のような低い次元の修行者は、所詮この程度です。怒りという煩悩を完全になくすのは、容易なことではありません。けれども、一旦怒りを生じても、後へ尾を引かないように抑制するのは、それよりずっと簡単でしょう。

 どうしてかというと、怒りなど煩悩の心には、正しい根拠がないからです。その点を本当に納得できれば、たとえ強い怒りが発生しても、少し落ち着いた時点で解消させることが可能になります。「怒りに正しい根拠がない」というのは、仏教哲学上の深い意味であり、『般若心経』で「色即是空」と説いている「空」に関係することです。今それを詳しく説明する余裕はないけれど、拙著『チベット密教 修行の設計図』(春秋社)の第十五章に種明かしがあるので、御覧になってください。

仏教を修行する目的

 二日め午前の講演「心を訓練する八つの教え」は、完全に仏教の内容です。法王は、予定されていた時間の大半を費やし、チベットの伝統教学に基づいて仏教の枠組みを解説なさいました。これは、かなり高度なテーマを含むものでしたが、法王の素晴らしさの本領が発揮されるのは、やはりこうした仏教の法話であはないでしょうか。

 その中身を項目だけ列挙すれば、釈尊の三転法輪、縁起の三層、四諦と二諦、帰依三宝、四顛倒、出離と菩提心などです。もちろん法王は、「外国の一般人を対象に、仏教の概要を説明する」という点を念頭に置きながら、お話しをなさったと思います。しかし、その実際の中身は、チベット仏教の大本山で本格的に修行している僧侶たちを対象にした法話と比べても、それほど水準を落としていないという印象を受けました。

 では、こうした仏教の内容を学び実践する、その本当の目的は何でしょうか。それは簡単にいえば、苦しみを除いて幸せになることです。自分自身のためにそれを追求するのは、仏教一般に共通するレベルです。生きとし生ける物全てのために追求するのは、大乗仏教のレベルです。しかし、「苦しみを除いて幸せになる」といっても、一体どうやって実現するのでしょうか

 チベットのラマたちがよく引用する釈尊のお言葉に、次のようなものがあります。「仏陀は、人々の罪を水で洗い流すわけではないし、人々の苦しみを手で取り除くわけでもない。また、自分自身の覚りを他者へ移すわけでもない。そうではなく、真実の教えを説き示すことによって、人々に覚りを得させるのである」。法王も講演の中で、この点を強調なさっています。私たちが苦しみを除いて幸せになるには、自分の誤った考え方や習慣を正さなければならず、そのためにこそ、仏陀が説き示してくださった真実の教えを学んで実践する必要があるのです。

 ところが、そうした本当の目的意識をついつい見失ってしまうほど、チベット仏教の教理と実践体系は、現代人の知的好奇心をくすぐる魅惑的なものです。仏教の全てを知り尽くした法王が、歯切れのよい言葉で思想哲学の要点を整理してくださる・・・。そのお話しに耳を傾けるのは、私にとって非常にエキサイティングな体験です。そのとき私は、とても充実した気分を味わうと同時に、仏教が自分の「趣味」のようになっていることに気づかされます。

 そんな私に、大乗仏教の真の目的意識を思い出させてくれるのが、「心の訓練(ロジョン)」です。「心の訓練」は、簡単にいえば、自己中心的な心を利他の精神に転換してゆくため、様々に工夫された瞑想修行法です。その最も基本的なテキストが、この法話のテーマとなっているランリ・タンパの『心を訓練する八つの教え』だといえます。ただ、今回はあまり時間がなかったので、要点の簡単な解説だけとなりました。

 こうしたチベットの「心の訓練」のルーツになっているのが、インドの聖者シャーンティデーヴァ(寂天)の『入菩提行論』です。その全訳が、『チベット仏教 菩薩行を生きる』(ゲシェー・ソナム・ギャルツェン/西村香訳註、大法輪閣)に収録されているので、関心のある方は御覧になってください。

日本初の科学者との対話

 二日め午後の講演「科学と仏教の対話」は、小柴昌俊博士(ノーベル物理学賞受賞者)と村上和雄博士(DNA研究の世界的権威)をお招きしてのパネルディスカッションです。法王は、これまで欧米の様々な分野の科学者たちと対話を重ねてこられましたが、日本ではこれが初めての試みになります。

 小柴博士は、認識の主体と客体を明確に区分することが科学的手法の鉄則だと強調してから、それと主体・客体が一体化した宗教的禅定体験との比較に言及されました。これは、仏教哲学の面でも重要な課題であり、唯識派と中観派の見解の微妙な点を学ぶのにも絶好の材料です。ただ今回は、この話題について論議を深める時間がなかったようで、少し残念な気がします。

 また、小柴博士が仏教と一神教の相異についてお尋ねになったのに対し、法王は「慈悲や寛容の精神に関しては、あらゆる宗教が同じメッセージを共有している。イスラム教過激派などがテロリズムに走るのは、自らの宗教の教えを曲解しているからだ」という主旨のお答えをなさいました。

 しかしこれは、思想哲学上も仏教と一神教が一致するという意味ではありません。仏教は創造神の存在を認めないし、一神教は創造神を唯一絶対視する思想です。この矛盾を止揚することはできません。よく宗教の世界には、例えば「密教の本尊とキリスト教の神は同じだ」とか「真実は一つしかない」などといって、思想的に仏教と一神教を統合しようとする人がいます。しかし、そういう考え方は、仏教哲学からみても間違っているし、相手のキリスト教などに対しても大変失礼だと思います。

 思想的に多種多様な宗教が、お互いの立場を尊重しつつ共存した方が、人類全体のために有益なのです。思想的には矛盾していても、慈悲や寛容の精神といった面に関しては、正しい宗教ならば必ず一致することができるはずです。この点に着目して、他の宗教とも連帯してゆこうというのが、様々な宗教の最高指導者たちと交流を重ねてきたダライ・ラマ法王の信念だと思います。

 偶然この点に関連する話題なのですが、村上博士が「遺伝子を解読するのも大変だが、それを作ったのはもっと大変なことだ。この点を考えると、何か偉大な力のようなものを感じざるを得ない」という主旨の感想を漏らされました。これに対して法王は、「キリスト教徒ならば、大喜びで『それこそ神のお働きです』というかもしれないけれど、仏教徒は業の因果関係によって作られたと考えます」という主旨のお答えをなさっています。

 今回の「科学と仏教の対話」は、論議が佳境に入りかけたところで時間切れとなってしまいましたが、これを契機に日本でもこうした試みが活発になってゆくことを期待したいと思います。

 最後に、今回のダライ・ラマ法王の御来日を機会にチベット仏教に関心を持たれ、もっと学んでみたい、実践してみたいとお考えの読者のために、情報源を幾つか御紹介しておきます。

●ダライ・ラマ法王についての情報・・・・・ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(チベットハウス) 〒160-0022 東京都新宿区新宿5-11-30 第5葉山ビル5F TEL.03-3353-4094

●日本国内でチベット仏教を学び実践できる場所・・・・・チベット仏教普及協会(ポタラ・カレッジ) 〒101-0041 東京都千代田区神田須田町1-5 翔和須田町ビルB1 TEL.03-3251-4090


本稿は、『大法輪』誌平成16年1月号(pp.128-133)に掲載された記事と同内容の文章を、大法輪閣編集部の御了承を得て再掲載したものです。

なお「心を訓練する八つの教え」については、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著『八つの詩頌による心の訓練』(ポタラ・カレッジ チベット仏教叢書2/チベット仏教普及協会)に、原典の和訳と詳しい解説があります。

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