教理の考察
教理の考察
ここでは、私の担当する授業での質疑応答などをヒントに、チベット仏教の教理を深く考察してみましょう。
この「教理の考察」のカテゴリーに属するページの論考は、ゲルク派の伝統教学に基づいていますが、インドやチベットの典籍の逐語的な解説ではありません。それらをもとにして、論理的に考察を深め、意味内容の真の理解を目指そうという試みです。チベット仏教の僧院では、問答を通じてこれを行なっています。
但しここでは、問答のような形式論理学的表現ではなく、もう少し私たちの日常の言葉や思考回路に近づけた文章表現にしてあります。
中身は、少し難しいです。でも、『チベットの般若心経』などで教理をある程度勉強なさっていれば、分かりやすいと思います。
(日本仏教各派の教義や、近代仏教学の定説を所与の前提として読むと、かえって混乱します。中身への賛否は別にして、とりあえず先入観を取り払って読んでみてください。)
コンテンツは、少しづつ増やしてゆきます。
現時点では、個々のテーマがバラバラに取り上げられているような状態ですが、次第に整合性のある体系にまとめてゆきたいと思います。
幻の如き空性。
縁起の第三層の意味。
世俗の自相さえ否定し、
相互縁起の連鎖と世間極成のみを存在の根拠とする
単なる言説有…。
これらの意味を学び、分別で多少理解できれば、
慈悲や世俗菩提心の行境がいかなるものか、
その本当の在り方に光が射し込む。
虚空の如き空性から、
有辺の壁と無辺の崖の挟間に、
幻の如く甦る器世間と有情世間。
これをおいて他に、
慈しみ愍むべきものを、
一体どこに求めようというのか?
帰謬論証派の空性理解の片鱗に触れたとき、
執着から離れた純粋な慈悲の何たるか、
その輪郭が初めて見えてきた。
この教えを知らずに抱いていた慈しみや愍れみの心は、
確かに善きものであったかもしれないけれど、
今となっては何と色褪せて見えることか!