ポタラ・カレッジ齋藤保高の個人サイトです。チベット仏教の伝統教学について、質の高い情報を提供します。

ブログ

FrontPage

ブログスタイルのページ

このページは、数日おきに更新します。
ブログのように、新しい記事を上に加えてゆきます。
古い記事は、2~3箇月程度で、過去のブログのページへ移します。
ポタラ・カレッジの近況報告や行事に関することなど、最新の情報を書きますから、是非頻繁にチェックしてみてください。

9月18日(水) 「顕教と密教」のお礼

昨日の特別講習、お蔭様で無事終了致しました。わりと地味なテーマでしたが、熱心な受講者の方々が集まり、とても良かったと思います。
御参加くださった皆様、ありがとうございます!

今回は、『サンガジャパン Vol.24 チベット仏教』に掲載された拙稿「ラムリムとガクリム」をもとに、補足を交えながらお話しさせていただきました。
こうした内容を初めてお聴きになる方には少し難しく、長く勉強なさっている方には簡単すぎたかもしれませんが、必ず触れようと考えていた要点には大体言及できたかと思います。


9月12日(水) 特別講習「顕教と密教」

9月も既に中旬、本当に月日の経つのが早いです;
ポタラ・カレッジ20周年記念行事の御案内を、会員の皆様へ昨日郵送しました(会費継続のお知らせがある方は、明日発送します)。
10月の20周年イベント、多くの方々の御参加をお待ちしております!
元会員の方も、この機会に是非いらっしゃってください。懐かしい友達と会えるかもしれません ^^

さて、私の担当する初秋の特別講習「顕教と密教」は、9月17日(月・祝)、もう来週ですね(詳しくは、こちらを御覧ください)。
このテーマは、いろいろ誤解も多いし、とても奥が深いです。
密教の立場から見れば、顕教の内容の多く(全てではないです)は、「顕密共通の道」として設定されます。
そして、この顕密共通の道をよく学んで修練しなければ、密教独特の道(本尊瑜伽など、いわゆる密教らしい修行)へ入ることはできません。これは当然の前提であり、多くのラマたちが厳しくおっしゃっていることです。
しかしそうすると、早合点しがちな人が「密教を本格的に学修するなど、おこがましいことだ」と言いだし、そういう空気を読んで「今生は顕教、密教は来世で」などと語る人まで出て来ます(笑)
本心からそう思っているなら、まあ構いませんけれど、とても勿体ない話ですよ。密教の教え(中でも無上瑜伽タントラ)と巡り会う機会は、極めて稀有であり、いつでも可能だと思ったら大間違いです。
宗祖ツォンカパ大師の御著書などでも、顕密共通の道を修練するのが大前提ですが、それによって一切衆生への大悲が深まれば、必然的に密教の道へ入ることになると、非常に強調しておっしゃっています。これは、菩提心の中身について、自分自身のこととして真剣に考えてゆけば、当然辿り着くはずの帰結です。
だから私たちも、せっかく密教の教えと御縁があるのだから、菩提心を徹底的に修練し、堂々と密教の道を進めるようにしたいですよね!
こうした考えを基調として、今回の特別講習では、初心者の方にも分かりやすいお話をしたいと思います。今からでも、受講申し込みできます(希望者には、通信受講の対応も致します)。

9月 6日(火) 北海道地震のお見舞い

北海道の地震の被害に遭われた方々へ、心よりお見舞い申し上げます。
事態の沈静化と、被害の早期回復を至心に祈念致します。

きのう四大種の乱れの話を書いたすぐ翌日に、再びこのようなお見舞いを申し上げる事態が発生してしまったのは、本当に悲しいことです。
一部回復との報道を見ましたが、全道規模の停電というのは、東日本大震災でも無かった異常事態です。直接被災した方でなくても、生活全般に御苦労が絶えないと思いますが、明けない夜はありませんので、どうか希望を持って頑張ってください!

9月 5日(月) 台風21号のお見舞い

台風21号の被害に遭われた方々へ、心よりお見舞い申し上げます。
事態の沈静化と、被害の早期回復を至心に祈念致します。

この夏は、西日本を中心に、各地で自然災害が続発してしまいましたね。
こうした現象は、様々な原因や条件が組み合わさって発生しているわけですが、要するに四大種(地・水・火・風)の不調和ということです。
個人レベルで四大種のバランスが崩れると、身体に変調をきたします。地球規模で四大種の調和が乱れると、異常気象や地震などを誘発すると考えられます。
いずれの場合も、まず人間の力で対処できることを行なうべきでしょう。しかし同時に、人知を超えた大きな力へ畏敬の念をいだき、仏や神に祈ることも大切だと思います。

自然災害の鎮静や被害軽減のためには、お釈迦様の真言(ティヤター・オーン・ムニムニ・マハームナイェー・ソーハー)やターラー菩薩の真言(オーン・ターレー・トゥッターレー・トゥレー・ソーハー)、さらに摩利支天の真言(オーン・マリツィエー・ソーハー)などをお誦えするとよいといいます。
ダライ・ラマ法王は、『般若心経』の読誦をお勧めになっています。これは、チベット文でも漢文でもよいはずです。

8月21日(火) 初秋の特別講習

9月の祝日に、東京センターで初秋の特別講習を2つ実施します。
詳しくは、こちらのページを御覧ください。

1.顕教と密教
 9月17日(月・祝) 齋藤保高 担当
 宗祖ツォンカパ大師の「菩提道次第(ラムリム)」や「真言道次第(ガクリム)」、及び般若学に基づく五道十地の修道論(サラム)などに沿って、顕教と密教の関係性を考察します。このテーマについて正しい認識を持つことは、灌頂を受けて密教の修行を実践するために欠かせません。

2.『二十一尊ターラー礼賛経』の解説
 9月24日(月・祝) ガワン・ウースン師担当
 緑ターラーを主尊とする『二十一尊ターラー礼賛経』の解説を実施します。これは、日本仏教で喩えるなら「観音経」のように、チベット仏教で宗派を問わず親しまれている聖典です。

7月25日(水) リン・リンポチェの御法話を聴聞して

早くも半月ほど経ってしまいましたが、7月9日にポタラ・カレッジ東京センターで行なわれたリン・リンポチェ七世猊下の結縁御法話「ラムリム概要」を拝聴して感じた点を、少しばかり書いてみます。

内容全般として、非常に実践的な立場からまとめたお話だったと思います。
まず、「ラムツォ・ナムスム」の三要訣と「ラムリム」の三士の関係について、「出離は下士と中士、発心と正見は上士」とおっしゃっていましたね。これを聴聞なさった方、ちょっと驚きませんでしたか?
普通に考えれば、出離は「中士と共通の道」の入口、発心は「上士の道の入口」、正見は中士と上士の両方に不可欠な見解ということになります。
では、なぜリンポチェは、敢えて普通と異なる言い方をなさったのでしょうか? たぶんヒントは、御法話の中で「下士と中士は心構え、実際の修行は上士として行なう」とおっしゃっていた点にあると思います。
これは、ツォンカパ大師御自身が、下士や中士の道について、「下士と共通の道」、「中士と共通の道」と表現なさっている、その御意図を汲んでおっしゃったことでしょう。
つまり、もし下士の修行だけに専念して道を窮めれば、天界に生まれたり、色界の禅定や無色界の三昧を得る結果となります。中士の修行だけに専念して道を窮めれば、声聞や縁覚の阿羅漢の境地を得る結果となります。
しかし、大乗仏教に有縁の修行者ならば、それらは目指すべき結果ではないので、なるべく速やかに菩提心を発して大乗(上士)の道へ入り、一切衆生のために仏陀の境地を目指すべきです。
けれども、大乗の道を進むにしても、その基礎固めとして、下士や中士の修行は欠かせません。だから、あくまで上士(或は、少なくとも上士を真剣に目指す修行者)として、「下士と共通の道」や「中士と共通の道」を実践するということになります。
上士の修行に於て、車の両輪のように必要不可欠なのが、福徳の資糧積集と智の資糧積集の二つです。この両者それぞれの中心となるのが、世俗菩提心と正見(空性了解)にほかなりません。それゆえ、リンポチェは、「発心と正見は上士」とお説きになったのでしょう。
出離は六道輪廻を厭う心ですが、そのうち三悪趣からの厭離を目指すのが下士、三善趣からの厭離も目指すのが中士となります。つまり下士は、部分的な出離、或は出離の前行とも位置づけられるため、「出離は下士と中士」とおっしゃったのでしょう。

次に、発菩提心の「自他の置き換え」について、自他の数の比較よりも、自己愛着の過失と利他心の利得を比較するという面を強調してお説きになったのは、とても素晴らしかったと思います。
自他の数の比較を安易に解釈すると、集団主義・全体主義的な低次元の理解へ陥る危険性があります。そういう全体主義的な話ではなく、過失と利得の比較も併せて総合的に考察と体験を深めてゆき、その結果あくまでも自分自身の心の持ち方として、自己愛着を断って利他心を育むことが肝要なのです。「自他の置き換え」が利根の行者向きの教誡とされる所以だと思います(「自他の置き換え」については、こちらの記事も御参照ください)。

御法話の最後に、「ラムリム」の道は、私たち自身が実際に修行してこそ意味があると強調なさったのも、大変素晴らしいまとめ方だと思います。
仏陀はまさしく我々のために修行すべき道を説き示してくださったわけですが、肝心の我々自身が仏陀の救いをあてにするばかりで実際に修行しなければ、ほとんど何も意味がないのは当然の道理でしょう。

全体として、時間配分が大変お上手で、下士までのお話に偏ってしまうようなこともなく、しかも定時にビタリと終了されたのは、とても秀逸だったですね。
逐次通訳方式で2時間という、極めて限られた時間の中で説かれたとは思えないほど、中身の濃い教えだったと思います。

なお、ポタラ・カレッジ公式サイトの特設ページにも、御法話のお写真等が掲載されていますので、併せて御覧になってください。こちらです。

7月20日(金) 夏季集中講座

ポタラ・カレッジ東京センターの定期講習は、8月9日(木)から22日(水)まで夏季休講となります。

休講期間中に、東京センターで夏季集中講座を2つ実施します。
詳しくは、こちらのページを御覧ください。

1.現観荘厳論の概観(第二分・第三分
 8月11日(土・祝)・12日(日) クンチョック・シタル師担当
 近世の碩学であるアク・シェーラプ・ギャツォ師による解説書に基づき、道智性を説く第二分と基智性を説く第三分を紐解きます。

2.倶舎論の概観 カルマの因果
 8月18日(土)・19日(日) ガワン・ウースン師担当
 主に第四品に準拠し、仏教徒としての日常生活にも関連する業の因果関係にスポットをあてます。今回は、在家修行者の一時的な戒律である八斎戒についても触れる予定。

7月13日(金) 初転法輪御縁日 法話と法要

チベット暦の6月4日(今年の場合、新暦7月16日)は、「チューコル・トゥーチェン」といい、お釈迦様が最初の説法をなさった日とされています。
ポタラ・カレッジ東京センターでは、当日7月16日(月・祝)午後1時30分からゲシェー・ソナム・ギャルツェン師の担当で初転法輪御縁日法話「タブケートゥクジェの解説」を実施します(こちらのページを御覧ください)。
その後引き続き、午後4時から初転法輪御縁日法要を厳修します(こちらのページを御覧ください)。
三連休中は強烈な暑さになるとの予報ですが、御無理のない範囲で御参加いただければと思います。

7月10日(火) 西日本豪雨災害のお見舞い

西日本をはじめとする記録的豪雨の被害に遭われた方々へ、心よりお見舞い申し上げます。

被災地が広範にわたり、ポタラ・カレッジの会員・受講者の方々もいらっしゃるかもしれず、とても心配です。
事態の収束と、被害の早期回復を至心にお祈り致します。

6月29日(金) ザムリン・チサン厳修

昨日はチベット暦5月15日、この世界の護法善神たちにお香などを供養して祈願する「ザムリン・チサン」の日でした。これは屋外の大自然の中で行なう習慣のため、ポタラ・カレッジでも例年、埼玉県飯能市にある真言宗智山派清泰寺にお邪魔し、境内の裏山でザムリン・チサンの法要を実施しています。猛暑の予報に反して曇りがちで、暑くもなく雨も降らずという理想的な気象条件に恵まれました ^^ 

ザムリン・チサン 2018

お寺の御本堂の前に紅白の蓮があり、今回初めて、開花している姿を見ることができました。蓮の開花は4日間だけらしいので、花の本数が少ないと、なかなか巡り会えないですよね。それも今日ちょうど、一番綺麗に咲く開花2日めだったそうで、とてもラッキーでした! 早朝に咲いて日中には閉じてしまうのだけれど、きのうは曇り空で閉じるのが遅く、何とか間に合ったみたいです。境内には紫陽花など色々な花が咲き誇っていて、今年はちょうど見頃に訪れることができました。

開敷赤蓮華

参加された皆様、お疲れさまでした! 今年も、地元や近隣の方々が加わってくださり、とてもよかったと思います。
毎年お世話になっている住職御夫妻に、心より篤く御礼申し上げます。

6月28日(木) リン・リンポチェ結縁御法話

キャプジェ・ヨンズィン・リン・リンポチェ7世猊下が、7月9日(月)にポタラ・カレッジ東京センターへ御来臨なさり、「ラムリム概要」というテーマで結縁の御法話を授けくださることになりました。時間は、午後6時~8時の予定です。
リン・リンポチェ猊下は、ダライ・ラマ14世法王猊下の第一の恩師である先代リン・リンポチェ6世猊下の生まれ変わりとして、現代チベット仏教界で最も重要な転生活仏のお一人と位置づけられています。
ポタラ・カレッジでこれまで、キャプジェ・デンマ・ロチュー・リンポチェ猊下、第百世ガンデン座主ロサン・ニマ猊下、第百二世ガンデン座主リゾン・リンポチェ猊下、大阿闍梨チャンパ・リンポチェ師などゲルク派最長老の高僧たちが授けてくださった貴重な教えには、先代リン・リンポチェ猊下に由来する相伝が数多くあります。そして、現リン・リンポチェ猊下も、こうした高僧の方々から多くの伝授を受けていらっしゃいます。そのように法流の面でポタラ・カレッジと極めて近く、今後のチベット仏教界を背負って立つ新世代の指導者として最も重要視されているリン・リンポチェ7世猊下から、直接教えを受けて法縁を結ぶとても善い機会です。
詳くは、ポタラ・カレッジ公式サイトの特設ページを御覧ください。こちらです。参加希望者は、7月6日までにお申し込みください

6月20日(水) レルン・リンポチェ特別講演

ゲルク派の様々な法流を確実に継承してゆくための活動、ガンデン・パチュー・プチュー・プロジェクトを中心になって推進しているレルン・リンポチェ師をお招きし、ポタラ・カレッジ東京センターで特別講演を実施します。テーマは、「ゲルク派の法流継承について」。日時は、7月1日(日)午後5時30分~7時。
このプロジェクトでは、ゲルク派に伝わる様々な灌頂や口伝などの現状を調査し、関連する経軌を整理して出版したうえで、実践の生きた血脈が途絶えないようにするため、インドの亡命チベット人社会の僧院などを会場に、相伝保持者による伝授を企画・開催しています。今回の特別講演では、ゲルク派の法流の概要や保存・継承活動の現状などについて、紹介していただく予定です。
詳しくは、こちらのページを御覧ください。受講のお申し込みもできます。
※ 当日夕方の定期講習「前行道場 六加行法」は休講となります。それ以外の定期講習(秘密集会二流儀成就法、チベット語応用、瞑想教室 修習次第)は、全て普段どおり実施します。

6月18日(月) 大阪北部地震のお見舞い

大阪の地震の被害に遭われた方々へ、心よりお見舞い申し上げます。
余震や誘発地震など関連災害の沈静化と、被害の早期回復を至心に祈念致します。

関西には、ポタラ・カレッジの会員・受講者の方も多くいらっしゃり、とても心配です。これ以上被害が広がらず、事態が収束していくことを祈っております。

6月14日(木) 「五次第明灯」全篇の科文掲載

宗祖ツォンカパ大師の密教教学の最終結論と位置づけられる『五次第明灯』の科範を紹介するページ、未完成のまま長い間放置してしまいましたが、ようやく完成させました (汗)
こちらのページを御覧ください。
今回追加したのは、アールヤデーヴァ『行合集灯』に説かれている定寂身→定寂語→定寂心→幻身→光明→双運(双入)という六段階の行法を具体的に解説する、『五次第明灯』の核心部分です。

ちなみに、私が担当しているポタラ・カレッジ定期講習「五次第明灯」のコースでは、いま現在、定寂語の「6-2-3-2-2-3-3-4-1-2-6-1-1.胸の鼻端で真言の滴の調息を修習する」という箇所を学んでいます。「胸の鼻端」というのは、胸のチャクラの中心部のことです。

6月11日(月) ザムリン・チサンと法王御誕生日法要

1.ザムリン・チサン香供養
チベット暦の5月15日(今年の場合だと、新暦6月28日)は、「ザムリン・チサ ン」といい、この世界の護法善神にお香を供養する日です。当日の昼、チベットの伝統に則し、屋外の大自然の中で香供の法要を厳修します。
 日時:6月28日(木)午前11時~午後2時頃
 会場:真言宗智山派 清泰寺(埼玉県飯能市大字中居214)
 導師:ゲシェー・ソナム・ギャルツェン
※ 当日の定期講習(仏教入門、ブッダパーリタ註)は、普段どおり実施します。

2.ダライ・ラマ法王御誕生日慶祝・御長寿祈願法要
7月6日(金)は、ダライ・ラマ十四世法王テンジン・ギャツォ猊下83歳の御誕生日です。
ポタラ・カレッジでは、法王の御誕生日をお祝いして御長寿を祈願するため、当日の午後7時45分から9時15分頃まで東京センターで法要を厳修します。この法要では、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師を導師に、「観音菩薩のグルヨーガ」や「ダライ・ラマ法王の長寿祈願」などを全員で読誦します。どなたでも御参加いただけますので、御都合がつけば是非いらっしゃってください(参加無料)。
◎ 『チベット密教瞑想入門』または「観音菩薩グルヨーガ」プリントをお持ちの方は、御持参ください。
※ 当日の定期講習「ラムリム」は、午後7時30分までの授業となります。

詳しい情報は、こちらのページを御覧ください。

5月17日(木) サカダワ

春からの定期講習開講や連休の集中講座など気ぜわしい日々が続き、あっと言う間に1箇月が過ぎてしまいました(汗)
そうこうしているうちに、もうサカダワですね。

「サカダワ」とはチベット暦4月のことで、お釈迦様に有縁の月とされ、功徳を積むのに大変よい機会と考えられています。今年の場合、新暦の5月16日から6月13日までがサカダワです。
サカダワの満月の日(チベット暦4月15日、今年の場合新暦5月29日)は、お釈迦様の誕生・成道・涅槃の御縁日とされています。
ポタラ・カレッジでは、その当日5月29日(火)午後7時45分から、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師が導師を勤めて「サカダワ法要」を厳修します。どなたでも御参加いただけます。御都合つけば、是非いらっしゃってください(事前の参加申し込み、予約等は必要ありません)。

4月17日(火) 連休の集中講座

ゴールデンウィーク期間中に、ポタラ・カレッジ東京センターで、2つの集中講座があります。
4月29日(日・祝)・30日(月・祝)の二日間は、クンチョック・シタル師の担当で「現観荘厳論の概観」。
5月3日(木・祝)~5日(土・祝)の三日間は、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師の担当で「チッタマニ・ターラーの究竟次第」。
詳しくは、こちらのページを御覧ください。

4月14日(土) 「凡俗の顕現と執着」という意味

昨日の記事は、専門用語の意味を理解していないと、誤解しやすいかもしれませんね。
そこで今日は、「凡俗の顕現」と「凡俗の執着」の意味について、少し説明したいと思います。
『秘密集会タントラ概論』では、前者を「凡庸なものとしての顕現」、後者を「凡庸なものとして捉える認識」と表現しています。こうした内容に初めて接する読者にとっては、『秘密集会タントラ概論』の言い方のほうが、分かりやすいと思います。
けれども私は、チベット語で単語や短文節になっている仏教用語を、助詞や動詞を積極的に交えて長めの文節に和訳することは、極力避けるようにしています。というのは、講義にしろ文章にしろ、複雑な論議を続けている中で、一まとまりのテクニカルタームを長めの文節で表現すると、修飾関係や単語のつながりを何通りにも解釈できる余地が生じてしまい、言わんとする内容が正確に伝わらないケースが時々あるからです。
だから私は、テクニカルタームは単なる名札だと割り切っています。名札に書かれた名前から、中身を正しく推測することは難しいかもしれないけれど、いずれにせよ中身の正しい意味は、よく学んで吟味しなければ理解できません。ならば、名札に書く名前は、簡潔で言いやすい方がよいと・・(笑)

さて昨日の記事では、密教独特の所断spang bya(断じるべきもの)として、「凡俗の顕現」と「凡俗の執着」という2つの専門用語が出て来ましたね。
そこで今日は、その2つの対治(断じる手段)として、さらに2つ専門用語を紹介したいと思います。「本尊の明確な顕現」と「本尊の慢」です。
それでは、この4つの専門用語の意味を、簡単に説明してみましょう。

凡俗の顕現 tha mal gyi snang baとは、凡夫の意識(第六識)の面に、自分自身が普通の凡夫として顕現し、周囲の状況が普通の輪廻世界として顕現することです。
凡俗の執着 tha mal gyi zhen paとは、凡夫の意識が、自分自身を普通の凡夫だと分別し、周囲の状況を普通の輪廻世界だと分別することです。ちなみに、ここでの「分別」とは、名称や概念と結び付けて認識することです。

こうしてみると、凡俗の顕現は、私のような凡夫にとっての現実にほかならず、凡俗の執着は、それを正しく捉えている認識だということになりますね(執着という表現に惑わされがちですが、これは貪欲のような煩悩ではなく、意識によって能動的に分別することを指す用語です)。
なので、顕密共通の一般論として、これらが所断と位置づけられることはありません。

ところが密教では、速疾に仏陀の一切知を得るための手段として、本尊瑜伽を実践します。本尊瑜伽とは、現実には凡夫である密教行者が、仏陀の在り方と行相を一致させて瞑想を修行することです。換言すれば、仏陀が御自身や周囲を御覧になっているときの見え方と一致するように、凡夫の瑜伽行者が敢えて意識して修習するということです。
この本尊瑜伽という面からすると、凡俗の顕現や凡俗の執着は、仏陀の在り方と行相が一致しないから、所断と位置づけられるわけです。
それで、どうやって断じるのかといえば、本尊瑜伽の中で「本尊の明確な顕現」を修習することにより、凡俗の顕現を遮断します。また、「本尊の慢」を修習することにより、凡俗の執着を遮断します。

本尊の明確な顕現 lha yi gsal snangとは、瑜伽行者の意識(第六識)の面に、自分自身が本尊として顕現し、周囲の状況が曼荼羅世界として顕現することです。眼識など五感の識ではなく、「第六識の面に」という点が重要です。
本尊の慢 lha yi nga rgyalとは、瑜伽行者の意識が、自分自身を本尊そのものとして自覚し、周囲の状況を曼荼羅世界そのものとして認識することです(慢という表現に惑わされがちですが、煩悩としての慢心ではなく、善い意味でのプライドを指す用語です)。

さてここで考えるべきは、ヤンチェン・ガロ師が『密教の地と道』で「凡俗の執着を煩悩障、凡俗の顕現を所知障・・」とおっしゃっている意図です。
顕密の大乗に共通する本当の意味での所断は、無明を始めとする煩悩障と、その薫習と位置づけられる所知障です。煩悩障の大もとたる無明は、習慣的に実体視する心です。一方、実体として心に顕現することは、その薫習なので所知障ということになります。
「凡俗の執着」は心で認識すること、「凡俗の顕現」は心に現われることだから、そうした関係性が「実体視する心」と「実体として心に顕現すること」の関係に似ているため、「凡俗の執着を煩悩障、凡俗の顕現を所知障」という話になったのかもしれません。

ここからはもう完全に推測の域なので、真面目に読まなくていいですが、そうすると『密教の地と道』の問題の箇所の真意は、「密教の場合、当面(生起次第や定寂身)の道に於ける所断の主たるものは、凡俗の顕現と凡俗の執着であり、この二者の関係性は、凡俗の執着が煩悩障、凡俗の顕現が所知障のようなものと言えるだろう。それはともかく、より上位の道で顕密の大乗に共通する所断を断じる在り方は、ギュメー寺の教科書のお考えでは、第四次第の義の光明によって一切の煩悩障を一度に断じるように、有学辺際の義の光明によっても一切の所知障を一度に断じるのである・・・」ということなのかもしれませんね。
私が昨日の記事の最後で、「お言葉が余計だった」と言わず「少し足りなかった」と言ったのは、こうした推測に基づいてのことだけれど、正しいかどうかは全然分かりません(笑)

4月13日(金) 密教の所断についての考察

前の記事で、『秘密集会タントラ概論』について書かせていただきましたが、今日はその中身について、少し専門的な話をしてみたいと思います。
同書の訳註の中でも、註46(p.209~)は、とても興味深いテーマです。私も、だいぶ前にポタラ・カレッジ定期講習でヤンチェン・ガロ『密教の地と道』の講読コースを担当したとき、この註に該当する箇所で「あれっ?」と思ったことがあります。
註46が付された本文は、『秘密集会タントラ概論』のp.205です。五道十地の考察の最終結論となる「道の二つの次第を本質の面から五道として設定する方法」という科範の、最初の方にあります。
該当箇所を、ここで話をしやすいように、原典から自分で訳してみましょう。

密教の場合、道の所断の主たるものは、凡俗の顕現と〔凡俗の〕執着の二者であり、そのうち凡俗の執着を煩悩障、凡俗の顕現を所知障と説いているので、それ〔ら〕を断じる在り方は、ギュメー〔寺〕の教科書のお考えでは、第四次第の義の光明によって一切の煩悩障を一度に断じるように、有学辺際の義の光明(金剛喩定)によっても一切の所知障を一度に断じるのである・・・

さてこれについて、註46では、凡俗の顕現を密教の所知障と位置づけることへの疑義から論を起こし、ダライ・ラマ法王の教導なども交えつつ、密教の中心課題と位置づけられる「凡俗の顕現と凡俗の執着を遮断すること」などについて、巾広い考察がなされています。それ自体は、『秘密集会タントラ概論』をじっくり読んでいただくとして、ここでは自分なりに感じたことをごく簡潔に書いてみましょう。
ツォンカパ大師は、『真言道広論(ガクリム・チェンモ)』第十四品で、「真言〔乗〕(密教)の所化と波羅蜜乗(顕教の大乗)の所化で、輪廻に束縛されている因に区別はなく、束縛させている主〔因〕たる我執も、〔その〕反対側となる無我(空性)を把握した門から消失するということでなければならない」とおっしゃっています(拙著『ツォンカパのチベット密教』pp.169-170参照)。
これは、よく考えれば当然のことでしょう。例えば、凡夫である私が現在輪廻に束縛されている原因は、無明(我執)を始めとする煩悩障です。そして、仮に全ての煩悩障を種子から断じたとしても、それだけではまだ仏陀の一切知を得られない原因は、煩悩の薫習と位置づけられる所知障です。そのような私が、灌頂を受けて凡夫の密教行者となったとたんに、輪廻に束縛されている原因が「凡俗の執着」、一切知を得られない原因が「凡俗の顕現」に変化する・・・などということはあり得ませんよね。ですから、顕教の大乗仏教と同様、密教に於ても、道の本当の所断(断じるべきもの)は、煩悩障と所知障でなければなりません。
では、顕教と密教とで何が異なるのかといえば、最終的に煩悩障と所知障を断じ尽くすまでのスピードです。御存じのとおり、これは密教の方が遙かに速いですね。だとすれば、密教独特の所断とされる「凡俗の顕現」と「凡俗の執着」を遮断することは、このスピードをもたらすための手段と位置づけなければいけません。
「グヒヤサマージャ(秘密集会)」聖者流の枠組みでいえば、主に生起次第と定寂身(究竟次第の最初)の段階で、「凡俗の顕現」と「凡俗の執着」の遮断を修行することになります。その主な目的は、仏陀の色身を速やかに得る原因を作ることです。さらに踏み込めば、色身の因となる幻身を成就するためだと言えるでしょう(なぜ色身なのかについては、こちらの記事も参照)。
つまり、生起次第や定寂身(究竟次第の第一次第の支分)で密教独特の所断たる「凡俗の顕現」と「凡俗の執着」を遮断し、その状態で究竟次第の第一次第(金剛念誦次第)と第二次第(心清浄次第)を修習した結果、第三次第(自加持次第)の幻身を成就することになります。そのうえで、第四次第(楽現等覚次第)の義の光明と第五次第(双運次第)の義の光明によって、本当の所断たる煩悩障と所知障を速疾に断じ、所知障を断じ尽くした刹那に仏陀の法身と色身が同時に成立する・・・という流れなのです。
無上瑜伽タントラに於ては、義の光明こそが、空性を直観的に覚る智慧にほかなりません。なので、「義の光明によって煩悩障などを断じる」というのは、上に引用したツォンカパ大師の「我執も、その反対側となる空性を把握した門から消失するということでなければならない」というお言葉と符合することになります。

そんなわけですから、『秘密集会タントラ概論』の註46にも同じ趣旨の記述があるように、『密教の地と道』のこの箇所に関しては、ヤンチェン・ガロ師のお言葉が少し足りなかったと考えるべきでしょう。

4月 7日(土) 『秘密集会タントラ概論』を拝読して

先般、平岡宏一先生の新著『秘密集会タントラ概論』(法蔵館)を御恵贈いただき、大体目をとおして拝読することができました。この御本の素晴らしいところは、ゲルク派の伝統教学に基づいて、原典の訳註が行なわれている点です。「グヒヤサマージャ(秘密集会)」に代表される無上瑜伽タントラの研究は、文献学的なアプローチのみでは、表面的な解釈や些末な論議に終わってしまうから、決して満足のゆく成果をもたらすことができません。それゆえ、近代仏教学の枠組みで著述された研究書や論文がいくら世に出ても、実際の修行に直接役だつ情報を得ることは、あまり期待できないのが実情です。しかしこの御本は、それらとは異なり、伝統教学に立脚しているからこそ、無上瑜伽タントラの修行者にとって有益な教えの数々を汲み取ることができるはずです。
この御本の原典は、ヤンチェン・ガロの『秘密集会聖者流と一致した密教の地と道』gsang 'dus 'phags lugs dang mthun pa'i sngags kyi sa lamです。ヤンチェン・ガロ師は、18~19世紀に活躍したゲルク派の学僧で、『基体の三身解説・明灯』(和訳は『ゲルク派版 チベット死者の書』平岡訳/学研に収録)の著者でもあります。『基体の三身解説』が、人間の自然な状態に於ける死・中有・生についての解説であるのに対し、『密教の地と道』は、死・中有・生と行相を一致させて修習する無上瑜伽タントラの道を説き明かす教えです。
無上瑜伽タントラの本格的な道は、生起次第と究竟次第の二段階として設定されます。『密教の地と道』では、まず生起次第について簡単に触れてから、究竟次第について比較的詳しく解説しています。「グヒヤサマージャ」聖者流の究竟次第は、アールヤデーヴァの『行合集灯』に基づくなら、定寂身・定寂語・定寂心・幻身・光明・双運という六段階になります。『密教の地と道』では、ある段階から次の段階への移行という視点を中心に、各段階の内容を順に説明してゆきます。それに続いて、「地と道」つまり五道と十地(及び十地より多い地の設定)の解説がありますが、重要なのは最後の「道の二つの次第を本質の面から五道として設定する方法」(『秘密集会タントラ概論』ではpp.204-207)という部分です。
こうした内容に関して、ゲルク派の僧侶たちが最初に学ぶテキストとして、ヤンチェン・ガロの『密教の地と道』は、ギュメー寺やギュトゥー寺の僧院教育課程に組み込まれています。

過去のブログへ

a:172299 t:5 y:87

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional