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ギュトゥー寺での密教学修3C

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 さてここで少し、ギュトゥー寺に滞在中の食事についても御紹介しましょう。前にも述べたように、私が泊まっている宿坊棟の1階には食堂があり、朝の7時半ぐらいから夜の9時ぐらいまで営業しています。私は大体、朝はここで食べるようにしています。朝食時間帯は簡単なメニューしかないので、ミルクティー、チベット式のパン、プレーン・オムレツなどを頼みます。野菜不足になりそうですが、それは心配いりません。なぜなら、昼食や夕食は、ほとんど野菜中心だからです。
 ギュトゥー寺に到着してすぐ寺務所へ御挨拶に行ったとき、滞在中は僧院の食堂を利用してよいとおっしゃっていただいたので、昼食と夕食は御厚意に甘えています。僧院の食堂は、寺務所棟にあります。1階は一般の僧侶、2階は少年僧の食堂になっており、その奥にある貴賓席のような場所が師僧、執事、職員、来賓用なので、そこにお邪魔させてもらっています。大きい窓から山の裾野が見える、とても景色のよい場所です。料理のメニューは、一般の僧侶たちと変わりません。大抵はダル、野菜2種類、ご飯、パン類、果物などが並べられていて、セルフサービスで自由に取ることができます。

僧院食堂の食事

 食事時間は、原則として昼が正午、夕方が5時です。用意ができると寺務所棟の半鐘が鳴り、僧房から食器を持った僧侶たちが大勢出て来るから、すぐに分かります。僧侶たちは必ずしも1階の食堂で食べるわけではなく、そこから料理を持ち帰って自室で食事する人も多いようです。自室なら、外で買ってきた食材と合わせて食べることもできます。僧院の食堂は野菜中心のメニューですが、肉食が戒律で禁じられているわけではありません(所作・行タントラの法儀や親近行のときを除く)。市販の肉を各自で購入して食べる分には何の問題もないので、仲間どうしでおかずを作ったりして、食事にバリエーションをつけているようです。
 私も肉が食べたくなると、宿坊棟1階の食堂へ行き、肉入りのメニューを頼むようにしています。ギャトゥク(汁そば)やチョーメン(焼きそば)などは、一人でも食べやすいです。

肉入りギャトゥク

 コーヒーが飲みたくなったときは、門前のコーヒーショップへ行きます。山門から表通りへ出て、左へ行くとすぐに看板があり、そこから2階へあがります。この店は、ブラックコーヒーがとても美味しく、リラックスして寛げる場所です。軽食メニューもあり、ベジタブル・フライドライスは絶品でした。勉強に疲れたとき、ここで一休みするのは、私の密かな楽しみになっています(笑)

門前のコーヒーショップ

 ところで過去3回の訪問では、デリーからダラムサラへ来ると、まずマクロードガンジ(2012年のレポート参照)に数日間滞在し、それから山麓のギュトゥー寺へ移動するという旅程でした。ところが今回は、デリーからパタンコット経由で直接ギュトゥー寺へ来たため、まだマクロードガンジへは行っていません。ですが、ポタラ・カレッジの関係など用事が幾つかあるため、一度は行く必要があります。それで、究竟次第の伝授もほぼ先が見えてきた頃、予習を前の晩に頑張って済ませ、日中にマクロードガンジへ行くことにしました。その日は奇跡的に、一日中天気が良くて助かりましたが、これは偶然にすぎません。モンスーン期の天候は予想が難しく、予め晴れそうな日を選ぶのは、ほぼ不可能でしょう。
 マクロードガンジへは、タクシーを使えば簡単に行けますが、さほど急ぐわけでもないから、バスを乗り継ぐことにしてみました。まずは、山門から表通りへ出て渡ります。標識はありませんが、参道の前がバス停になっています。

門前の路線バス(2014年8月撮影)

 このバスは、パラムプールからロアー・ダラムサラへ行く路線で、かなり頻繁に走っています。ですから、時刻を気にする必要はありません。年配の僧侶が道端に立っておられ、マクロードガンジへ行くそうなので、御一緒させてもらうことにしました。バスの車内は、いつも非常に混雑しています。でも乗り降りが頻繁なため、しばらくすると大抵座れます。途中でバナーガットという少し大きな川を渡りますが、もし橋の手前で左折して川沿いに下れば、ダラムサラ空港の方へ行きます。そうせずに川を渡れば、やがてつづら折りの登り坂となり、ロアー・ダラムサラへ着きます。

ロアー・ダラムサラ附近を走る路線バスの車内

 ギュトゥー寺の門前から約7キロ、路線バスの運賃は10ルピーです。終点は、尾根上に開けた街並みから左側の斜面を下ったところにあるバスターミナルですが、少し手前のガソリンスタンド(ペトロール・ポンプ)で降りた方が便利なようです。
 ロアー・ダラムサラからマクロードガンジへは、乗り合いタクシーを使いました。ランドクルーザー型の車が何台か、ガソリンスタンド附近で客待ちしており、満員になったら順次出発します。街並みを抜けると登り口へ差しかかりますが、もし小型のタクシーならば、ここで直進するはずです。その道は、チベット亡命政府の官庁街であるカンチェン・キーションを経由し、マクロードガンジまで急坂を登ります。しかしランクル型の乗り合いタクシーだと、大型バスと同じように、登り口で左折して林間のつづら折りの道を登ります。インド陸軍の駐屯地の中を通り、景色のよい眺めを楽しめるルートです。
 マクロードガンジの中心部は、「メイン・スクエア」と呼ばれる五差路の交差点です。その直下の急斜面を切り開いて、バスターミナルと駐車場が設置されており、乗り合いタクシーもそこが終点となります。ロアー・ダラムサラからのお値段は、一人15ルピーでした。
 ギュトゥー寺門前から御一緒していただいた僧侶ともここでお別れし、私はマクロードガンジでの所用を順に済ませていかなければなりません。まずは、両替えです。インドでお金の両替えは、レートや信頼度などの点から、ウェスタン・ユニオンが一番よいと個人的には思います。メイン・スクエアにもウェスタン・ユニオンがあり、日本円からインドルピーへの両替えなら簡単に済みます。
 次に、旅行会社。メイン・スクエアの近くにチベット亡命政府系のポタラ・ツアーズという旅行会社の支店があるから、ちょっと寄ってみます。今回はデリーまでの帰路を事前に予約をしていなかったため、ここで夜行バスとデリーの宿を手配してもらいました。

 それから、2014年に御示寂されたキャブジェ・デンマ・ロチュー・リンポチェ猊下の御自坊をお訪ねしました。これまでなら、リンポチェの実弟で執事長のイェシェー・ティンレー師が出迎えてくださったのですが、そのイェシェー師も2017年1月にお亡くなりになっています。今回は、甥のスーナム師がお話ししてくださり、リンポチェの舎利で作られたヤマーンタカ父母尊のツァツァ(小さい塑像)を下賜していただきました。まことに勿体ない限りです。

ヤマーンタカ父母尊のツァツァ

 ロチュー・リンポチェ猊下は、1990年代初頭に日本で最初となる無上瑜伽タントラの大灌頂をお授けになっており、そのときの御本尊がヤマーンタカ父母尊にほかなりません。私自身も、日本で2回リンポチェからヤマーンタカの大灌頂を授かり、1996年にはダラムサラのこの御自坊で、ヤマーンタカ父母尊の成就法を伝授していただきました。そして2014年には、やはりこの御自坊で、「ロサン・チュージョル・ラプギェー」という法名を頂戴しています。そうした御縁からも、リンポチェの御遺骨で作られたヤマーンタカ父母尊のツァツァには、単に有り難いという以上の特別な加持力を感じずにはいられません。

 ロチュー・リンポチェの御自坊を辞してから、マクロードガンジの街並みを抜け、大乗法院(テクチェン・チューリン)へ向かいます。大乗法院は、ダライ・ラマ法王猊下の仮宮殿、中央寺院(ツクラクカン)、ナムギェル寺、仏教論理大学(ツェンニー・タツァン)などが集まっている一角で、亡命チベット人社会に於ける仏教全体の総本山というべき場所です。まずは、ポタラ・カレッジの用事を済ませるため、仏教論理大学を訪ねました。ここは、ポタラ・カレッジのチベット人講師たちの出身僧院です。寺務所の執事長ゲレク師(ソナム師やクンチョック師の同級生)とお話しし、大親近行を成満したゲシェー・ソナム師が初めてポタラ・カレッジで灌頂を授けたときの写真などをお見せしました。

仏教論理大学執事長ゲレク師
仏教論理大学の寺務所にて、執事長のゲレク師。
上の御影は、初代学長のゲン・ロサン・ギャツォ師。ポタラ・カレッジのゲシェー・ソナム・ギャルツェン師、クンチョック・シタル師、ガワン・ウースン師の恩師です。

 仏教論理大学の用事が済んでから、すぐ隣りでセキュリティチェックを受け、中央寺院を参拝しました。堂内には、本尊の釈迦牟尼仏や十一面千手千眼観自在などの尊像が安置されています。この観自在像の御前で、ダライ・ラマ法王猊下が瞑想なさっているところを、お写真で御覧になった方も多いと思います(例えば、ゲシェー・ソナム『チベット密教瞑想入門』法蔵館の口絵4など)。まさに、観自在菩薩とダライ・ラマ法王が一心同体であることを象徴するようなお写真なので、実際に尊像を拝観すると、大変感慨深いものがあります。

中央寺院の十一面千手千眼観自在

 中央寺院に隣接して時輪堂(トゥーコル・ラカン)が建っており、堂内には無上瑜伽タントラの諸尊の素晴らしい壁画があります。ここだけは写真撮影が厳しく禁止されていますが、以前特別に許可をいただいて撮った写真が「カーラチャクラ成就法の行法次第」のページにアップしてありますので、是非御覧ください(こちらです)。
 大乗法院やギュトゥー寺も含めてダラムサラ全般に言えることですが、最近は昔と比べて、インド人観光客の数がとても増えています。インドの急速な経済発展で豊かになった新興中産階級の人々が、手近な旅行先としてダラムサラを訪れているようです。周辺の道路が整備されたためか、麓のパンジャブ州やハリヤナ州ナンバーの自家用車も、ダラムサラでよく見かけるようになりました。ヒンドゥー教には、仏教もヒンドゥー教の一派と位置づける考え方があるせいか、インド人たちは、チベット仏教の寺院でもあまり違和感なく参拝しているように見受けられます。

マクロードガンジの街並み

 大乗法院の参拝を終えてから、マクロードガンジの街並みを散策し、仏具店や工房などを訪ねてみたのですが、お目当ての品は見つかりませんでした。何が欲しかったかというと、尊勝瓶(ナムプン)です。これは注ぎ口の無い瓶で、灌頂などのとき本尊として生起するための密教法具です。注ぎ口のある羯磨瓶(レープン)なら簡単に見つかるけれど、尊勝瓶はなかなか手に入りません。2012年にゲン・ゲドゥン大阿闍梨から「ヤマーンタカ一尊自灌頂儀軌」の伝授を受けたので、尊勝瓶と羯磨瓶はなるべくきちんとした物を使いたいし、それも同じ仕様で揃えたいところです。訪ね歩いた先では、「ダラムサラよりも、デリーのマジュヌカティラ(デリー北端のチベット人街)の方が有るかもしれない」と言われました。ギュトゥー寺の僧侶たちも同じことを言っていたので、帰路にマジュヌカティラで探すしかなさそうです。
 午後になってからは、ダラムサラで唯一日本風の食事ができるルンタ・レストランへ行きました。ダライ・ラマ法王の日本語通訳として活躍なさっているマリア・リンチェンさんと、ここでお目にかかる約束をしていて、ポタラ・カレッジの会員の方とも偶然にお会いし、楽しいひとときを過ごすことができました。
 夕方になり、そろそろギュトゥー寺へ戻る必要があります。夜の伝授に遅れてはいけないので、メイン・スクエアからタクシーで帰ることにしました。400ルピーかかりますが、カンチェン・キーション、ロアー・ダラムサラ経由で、一気にギュトゥー寺まで行けます。

 さて、話をゲシェー・ノルサン師の伝授のことに戻しましょう。マクロードガンジへ行った日の夜で、「チャクラサンヴァラ」ルーイーパ流究竟次第の伝授は、何とか無事に終わりました。私の滞在日数がまだ少し残っているので、ヤマーンタカ父母尊のツァツァを頂戴した御縁もあり、翌日からは「ヤマーンタカ」十三尊の生起次第について伝授していただくことになりました。2014年にはゲシェー・ノルサン師から「ヤマーンタカ」の究竟次第の伝授を受けましたが、そのときのテキストは、ゴムデ・ナムカ・ギェルツェン大師の解説書です。究竟次第に関しては、十三尊も一尊も共通で、私は一尊の親近行を大阿闍梨チャンパ・リンポチェ師のもとで実修し、その自灌頂儀軌の行法伝授を大阿闍梨ゲン・ゲドゥン師から受けた流れで、ゲシェー・ノルサン師からゴムデの究竟次第解説を教わりました。そのときゲシェーが私に一冊の本を与えてくださり、それに究竟次第解説書と対になる形で、十三尊の生起次第解説書も収録されていました。十三尊の生起次第については、以前にチャンパ・リンポチェ師から事相中心の行法指導を受けたことがありますが、ゴムデの解説書はギュトゥー寺の流儀を確立したものといえるため、この機会にゲシェー・ノルサン師からルンを伴って伝授していただくことにしました。ある程度長いテキストだから、今回は前行まで終え、正行からは次回ということになりました。2018年に再びギュトゥー寺へ行けるかはまだ分かりませんけれど、できるだけ定期的に訪問してゲシェーから教えを受けたいと思うので、今回テキストの途中までになったのは、むしろ善い御縁だと考えています。
  
犬に餌を与えるゲシェー・ノルサン師

 大方の伝授も終えた頃、僧院の食堂で夕食を終えて外に出ると、ゲシェー・ノルサン師が境内の犬へ餌を与えていらっしゃいました。そのスナップを撮っていると、ゲシェーが「一緒に撮ろう」とおっしゃってくださり、本堂の前で記念写真を撮影しました。これは、たまたま食堂の帰りだからラフな格好をしていますが、伝授を受けるときは、もう少しきちんとした服装を心がけています(笑)。

ゲシェー・ノルサン師と本堂前で

 前にも書いたようにゲシェー・ノルサン師は、昼間だと講伝などでお忙しいため、今回の伝授の最終回となる夜、お別れの御挨拶をするとともに、些少ながら御法礼を差し上げました。これはなかなか受け取ってくださいませんが、「このように甚深な法を授かって何の供養もしないのは縁起が善くありませんから」と申し上げ、どうにか受け取っていただきました。これで一安心です。
 その翌日、デリーへ向かうのは夜行バスですから、昼間は時間があります。まずゲン・ゲドゥン大阿闍梨の御自房へ御挨拶に上がり、次に御本堂を参拝し、最後に寺務所へ御挨拶に伺います。すると、執事が「僧院の車でダラムサラまで送ろう」とおっしゃってくださりました。とても助かります。
 夜行バスは、本来マクロードガンジのバスターミナルが始発です。しかし今期はモンスーンの豪雨がひどく、陸軍駐屯地内を通るつづら折りの道路の地盤が弱くなっているため、大型バスが何台も通行するのは危険だということで、ロアー・ダラムサラ発着に変更されていました。私にとっては、むしろ好都合です。
 そんなわけで、夕方に僧院の車でギュトゥー寺を出発し、同行してくださった執事とは、夜行バスの乗り場でお別れしました。乗り場といっても標識はありませんが、ロアー・ダラムサラのガソリンスタンドから急カーブを一つ下った場所で、ヒマチャルプラデシュ州ツーリズム・オフィスの斜め向かいあたりです。18時半前には大勢の人が集まってくるから、実際に見ればすぐに分かります(マクロードガンジ発着のときも、この附近に停まるはずです)。ただ、バスは何台も来るから、間違えないように気をつけないといけません。自分が乗るのは、スノー・リージョンというバス会社のAC車です。ポタラ・ツアーズで、一番良い席だと言って運転手のすぐ後ろの窓側を取ってくれたので、わりと快適に過ごせました。しかも、隣の席は仏教論理大学の僧侶だったから、共通の知人の話題などで打ち解けられます。インドの夜行バスという多少心細くなる局面では、こういう些細な御縁でも、けっこう安心感につながるものです。
 ロアー・ダラムサラを19時に出発した夜行バスは、山間部を走り抜けて平坦な幹線道路へ出て、早朝5時前にデリー北部のチベット人街マジュヌカティラへ到着しました。ポタラ・ツアーズで手配してくれたのは、同じ系列のザンバラ・ハウスという宿ですが、場所が分かりません。バスターミナルにはタクシーやオート・リクシャーが群がっているけれど、私はサイクル・リクシャーをつかまえて、ザンバラ・ハウスまで連れて行ってもらうことにしました。マジュヌカティラは道が非常に狭いため、サイクル・リクシャーでないと中へ入れないからです。
 ザンバラ・ハウスは、マジュヌカティラの街並みの北の方、つまりバスターミナル寄りにありました。とりあえず昼まで仮眠し、それから食事です。個人的な好みだけれど、街並みの北端にあるアマ・レストランという食堂が美味しいと思います。ここのチキン・チョーメンは、ちょっとビーフンのような感じがして、私はとても好きです。

アマ・レストランのチキン・チョーメン

アマ・レストランのビーフ・モモ

 結局、お昼も夕食もこのレストランで食べ、せっかくだからチベット料理の定番であるビーフ・モモも頼みました。
 肝心な尊勝瓶の方はどうなったかというと、けっこうマジュヌカティ中を探し回りましたが、街並みの北部にあるノルリン・ギャラリーという店で見つけることができ、同じ仕様の羯磨瓶と一緒に購入しました。

尊勝瓶(右)と羯磨瓶;帰国後に撮影

 これで、今回の旅行の話も大体終わりです。一泊した翌日、マジュヌカティラからニューデリー国際空港までは、ザンバラ・ハウスで頼んだタクシーで行きます。デリー市街の北端から南端まで走り抜けるので、途中の渋滞なども見込んで、時間に充分余裕を持たなければいけません。

 私は好きでインドへ行っているわけですが、やはりインドの一人旅というのは、慣れているつもりでも気をつけないといけないことがたくさんあり、身心ともに消耗します。国際空港のコンコースへ入り、搭乗手続きを済ませたときの安堵感は、何度経験しても格別なものがあります。帰路の機内から眺めたガンジス河は、1万メートルの高度から見ても圧倒的な存在感があり、感動すら覚えたものです。 (完)
 

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