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ヤマーンタカ親近行5

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 前にも書いたように、行に入って7日めから四日間は、ほぼ同じような時間配分で、毎日「フィーティー」の十字真言を15,000返づつ念誦しました。リンポチェは「半分を超えたら楽になる」とおっしゃっていましたが、確かに7日めの昼の座で累計五万返を成就してからは、ゆとりをもって修行できるようになった気がします。8日めの昼食前には、護法尊タムチェン・チューギェルの供養法について、リンポチェに御指導をいただきました。いかにも恐ろしい護法尊ですが、きちんと修法すれば、効験は抜群だといいます。

 ところがこの日の夕食で、ちょっとした油断から、チョーメン(焼きそばみたいなもの)を食べ過ぎてしまいました。いつものことですが、力士のような体型のシェーラプさんは、自分自身の食べる分量の感覚で、私にもおかわりを勧めてくれます。だから、ある程度のところで、上手に断らなければいけません。なのにこのときは、結構美味しかったせいもあって、勧められるままにたくさん食べてしまいました。胃腸薬を飲んで夜の座を始めたのですが、苦しくてたまりません。途中で寝泊りする部屋のベッドに戻り、少しばかり休憩したほどです。

 そういう小さいアクシデントはありましたが、修行は大体順調に進み、10日めの夜の座で十万返の念誦を成就できました。9時10分に結行して、リンポチェに御報告すると、「タシデレ(おめでとう)」とおっしゃってくださいました。まだ行じるべきことがたくさん残っているため、私自身には達成感などありませんでしたが、この親近行が順調に満願するであろうことを、リンポチェは既に見通していらっしゃるようです。

 翌11日めには、付加行kha skongとして「フィーティー」の十字真言を一万返誦えます。これは、十万返の念誦のうち、幾つかは過失のあることを想定し、一割を余分に誦えるという趣旨です。念誦の過失とは、例えば真言を間違えたり、発声が適切でなかったり、所縁に集中できなかったりなど、いろいろ考えられます。そのための対処法として、前にも述べたように、まず行者自身が明らかに過失に気づいた場合は、その回数を除外する必要があります。けれども、自分で気づかない過失も必ずあるはずだから、百八顆の数珠を一周繰ったとき、機械的に8返を除外して「百返」と数えるわけです。また各々の座で、念誦の後に百字真言を誦えて過不足を浄治するのも、別な形の対処法といえるでしょう。それでもまだ足りないかもしれないので、所定の回数を成就した後に、一割の付加行を実践するわけです。このように、二重三重に巡らされた過失の対処法も、昔の瑜伽行者たちの智慧と経験から編み出されたものだと思います。

 私は、11日めの朝の座と昼の座で、一万返の付加行を終えました。それを御報告すると、リンポチェは、「夜の座で、ヤマラザの根本真言を千返誦えなさい」とおっしゃいました。この真言はかなり長いため、誦えるのに時間がかかります。6時15分に夜の座を開始し、真言念誦の後にトルマを供養して、結行は9時10分です。このとき私は、念のため付加行も含め、「ヤマラザ」の根本真言を1,100返誦えました。ちなみに成就法の解説書や親近行の手引書などを見ると、ヤマラザと降智真言の念誦回数は、一万返となっている場合が多いです。ただ、一番重要なのはフィーティーを十万返念誦することで、他はある程度裁量の余地があるようです。リンポチェにお尋ねすると、この時点で日数的な余裕は十分あったにもかかわらず、「ヤマラザと降智真言は千返づつでよい」とおっしゃいました。行法の全てを知り尽くしたリンポチェが、行の進み具合などを観察してそのように判断されたわけだから、今回のケースではそれが一番正しいということです。けれども、自分独りで親近行を実修する場合は、解説書や手引書のとおりにしたほうが無難だと思います。

 11日めの午後からは、いつになく激しいスコールが降り続き、周囲一帯が停電になってしまいました。リンポチェのラダンには自家発電装置があるため、夕食時などには電気がつきます。しかし夜の座の頃には、それも切れてしまいました。普通そのようなときは、ソーラーシステムで充電した携帯用の蛍光灯ランプを使用します。けれどもこの日は、納屋でツェリン・サムトゥプさんが護摩用のトルマを作っていたため、ランプもそちらに置いてあります。だから、バター灯明と小さな懐中電灯の光だけを頼りに、儀軌を読まなければなりません。もっともこの時点では、イヤでも(笑)暗記してしまった箇所が結構あるので、停電もそれほど苦にはなりませんでした。暗闇の中、バター灯明の炎に照らし出された本尊やトルマは、実に幻想的な雰囲気です。

 翌12日めの朝の座では、降智真言を1,100返誦えました。降智真言を誦えるときは、智尊の存在をありありと実感しつつ念誦すると効果的です。智尊ye shes paというのは、もともといらっしゃる本尊のことです。具体的に何を指すかのといえば、一番の根源としては、お釈迦様がこの教えを説示するために化作なさったヤマーンタカのお姿そのものです。自分自身にとっては、お釈迦様と同様に、自分の根本ラマが化作なさったヤマーンタカのお姿ということになります。これを、「ラマと主尊が不可分のもの」bla ma dang gtso bo tha mi dad paといいます2010年3月29日からのブログ記事参照)。密教行者の第一義的な帰依の対象であり、諸仏の智慧と加持力は、全てそこに集約されているのです。そのような「ラマと主尊が不可分のもの」を智尊として実感しつつ、降智真言を付加行も含めてお誦えし、10時半頃に朝の座を結行しました。これで、必要な真言念誦の回数は、全て成就したことになります。

 この日は昼の座を行なわず、午後にリンポチェから護摩行の御指導を受けました。夜の座は、親近行の総仕上げとして、広作法の儀軌で成就法を修習します。真言念誦の回数は数えません。最後に、トルマ供養を広作法で行ないます。これで、親近行そのものは、完全に結願となりました。


 親近行を全て成就したら、さらなる付加行として、護摩を修法する必要があります。護摩といっても、日本密教のやり方のように、道場内に護摩壇が用意されているわけではありません。何も無い屋外に、土壇を一から築いてゆかなければならないのです。これの準備は、シェーラプさんを中心に、8日めから開始されました。時間的に少し遡りますが、護摩の準備のプロセスを、写真とともに御紹介しましょう。

護摩壇の縄張り

 まず、8日め(10月13日)の状況です。護摩壇を築く位置を決め、縄張りをしました。これは、私が寝泊りしている部屋のすぐ外です。

資具の穀類

 9日めには、シェーラプさんがフブリへ買い出しに行き、護摩の資具となる穀物などを調達しました。奥は、左から黒胡麻、籾付きの大麦、小麦、大麦。手前は、左から米、白芥子、豆(写真は、12日めに撮影)。

土壇を築く;イェシェー・ペーマ師撮影

 10日めには、煉瓦と泥で護摩壇の本体を築きました。

乳木

 11日めには、シェーラプさんが庭の木を切り、乳木を作りました。これは、「行者の十二指量の長さ」と決められています。私の手のサイズで、食指から小指までを伸ばして揃え、その4本の指の付け根の横巾が4指量です。それを、左手、右手、左手と重ねた長さが、私の12指量になります。写真の乳木は、その長さに切り揃えたものです。ところでこの木、写真で見ても、湿っているのが一目瞭然。激しいスコールを浴びてしまったからです。この後、竈のある納屋で乾燥させたのですが、結局それほど乾きませんでした。こんなに濡れていて、本当に燃えるのでしょうか?

線引き

 12日めには、いよいよ護摩壇の上に炉の曼荼羅を描きます。この仕事は、ツェリンさんが中心です。まず土壇の上を白く塗り、曼荼羅の線を引きます。曲線は、このようにコンパスで描きます。

墨打ち

 直線は、顔料の付着した糸で墨打ちします。奥の僧侶(ツェリン・サムトゥプ師)が張っている糸の真ん中あたりを、手前の僧侶(イェシェー・ペーマ師)が上に引いて、土壇の面をパチンと弾くようにします。そうすると、糸の顔料が土壇に付着し、真っ直ぐな線が描けるのです。

線引き2

 クティは、「壇に上がりたくて上がりたくて仕方がない!」という様子ですね。この直後、お坊さんたちの隙を見て曼荼羅へ入壇(?)を決行し、イェシェー・ペーマさんに厳しく叱られることになります(笑)。

線描曼荼羅 

 曼荼羅の線が全て引き終わりました。黒い線はコンパスで描いたもの、茶色い線は糸で墨打ちしたものです。

彩色 

 線を引いたら、顔料で彩色します。砂曼荼羅と似たような感じですが、それほど厳密なものではないため、手で顔料を落としてゆきます。この顔料は、土壇の面に付着するので、砂曼荼羅のように簡単に壊れることはありません。護摩行の当日は、この炉曼荼羅上に護摩木などを積んで火を焚くわけですから、あまりデリケートな作りではダメです。

彩色2

 私が2階でリンポチェから護摩行の御指導を受けている間に、彩色もほぼ完成したようです。

三鈷と半月

 細かい三昧耶形などを描くために、このような仕掛け(?)もあります。これは、四隅に描く三鈷杵と半月。

曼荼羅を検分するチャンパ・リンポチェ

 仕上がりを確認するため、リンポチェが2階から降りていらっしゃいました。

リンポチェによる総仕上げ

 リンポチェ御自身が、最後の総仕上げをなさいます。

完成した護摩壇の炉曼荼羅

 完成です。写真の上が東になります。行者は東側に座って護摩を焚きます。

護摩行と自灌頂のトルマ

 ツェリンさんが納屋の中で、護摩行と自灌頂に用いるトルマの準備をしています。

護摩杓

 護摩杓。下が円杓で、上が方杓。これを右手と左手に持ち、蘇油を炉に注ぎます。それにしても、方杓はかなり重いです。鉄製で、日本の護摩杓よりずっと大きいですから・・・。円杓の下にある二本の棒が、着脱可能な柄なのですが、これを方杓に付けて端を持つと、相当な重量を感じます。「重過ぎて、護摩行では大変そうだな」と心配になり、ツェリンさんにグチをこぼしたら、「大丈夫。全然問題ないです」と言われました。どうしてだと思いますか?

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