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ヤマーンタカ親近行2

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 まず、親近行を始める日時ですが、ヤマーンタカの場合、秋の29日の夜から始めるように説かれています。ちょうど10月6日がチベット暦の8月29日にあたるので、その夜にゲクトル(魔封じ)を修法して親近行に入ることになりました。通常だと、親近行は一日四座とされています。しかし今回は、リンポチェのラダンの生活時間に合わせ、朝の8時半からと、昼の2時半からと、夜の6時半からの三座で行なうことになりました。成就法の儀軌は、朝に広作法、昼と夜は中作法を用います。但し、夜の座の結行時には、広作法でトルマ供養を修法する必要があります。

 そのトルマについて、少し説明しましょう。トルマgtor maは、サンスクリット語ではバリといいます。本尊、眷属諸尊、護法尊などに捧げる供物の一種で、ツァンパ(麦焦がし)やバターなどを練って作り、形は円錐や三角錐などが一般的です。少し専門的な話ですが、無上瑜伽タントラの場合、トルマ供養のトルマは、内供養と同じ儀軌によって加持します。材料や外見は異なりますが、両方とも五肉・五甘露として生起するということです。

 大阿闍梨チャンパ・リンポチェは、トルマ作りの技にかけても、当代の第一人者です。今回の親近行で使うトルマも、リンポチェ御自身と弟子のツェリン・サムトゥプ師が作ったものです。私も大体その場に居たので、作り方を少し伺いましたが、あまりにも精巧な出来栄えだから、とても手出しはできませんでした。

トルマ

 この写真を見ても、本当に素晴らしいですね。まさに第一級の芸術品です。中央の大きいトルマは、本尊金剛バイラヴァに捧げるものです。その両側の赤い三角錐のトルマは、護法尊タムチェン・チューギェルと眷族衆に捧げます。外側にある赤と白の円錐のトルマは、帝釈天などの護方神と眷族衆に捧げるものです。これら五つのトルマは、親近行の道場で、本尊の近くに安置します。供養して捧げるといっても、観想の中で行なうことだから、実際には初日から結願まで置いておきます。ただ、同じ材料で作ったトルスーという丸薬状のものを、毎日中央のトルマの下あたりに追加してゆきます。それによって、いつも新しいトルマを供養することになるわけです。

 ツェリン・サムトゥプさんは、タンゴ・メツェンの若い僧侶で、リンポチェを手助けしながら密教の習得に励んでいます。トルマを作っているときも、空性修習から供物などを生起する時点の観想法について、リンポチェのアドバイスを受けていました。「成就法で“空そのものから・・”という意味は、空性了解の智が供物の行相になるということでしょうか」とツェリンさんが尋ねると、リンポチェは「それだけでは、少し足りない。凡俗の顕現と執着を遮断してから、“心によって向うへ置いただけ”(4月9日のブログ参照)と思念して生起しなさい」とおっしゃっていました。デプン寺のカリキュラム自体は、般若学や中観学など、顕教の哲学を学ぶものです。だから、デプン寺の若い僧侶たちの中には、密教にあまり関心を示さない人もいます。「密教は、ここの課程を終えてから学修すればよい」と思っているのかもしれません。けれども、チャンパ・リンポチェのような密教の大家が身近にいると、その薫陶を受けて、若いときから密教に慣れ親しむことができます。だから、ツェリンさんのような人材が育ってくるのだと思います。これは、とても素晴らしいことです。こうした素地があれば、ギュメー寺やギュトゥー寺での密教の学修が、より一層身について役にたつものとなるでしょう。


 チャンパ・リンポチェのラダンは、1971年に平屋として建てられ、'90年頃に2階と屋上部分を増築したといいます。2階にはリンポチェの居室などがあり、広いベランダが食事や歓談の場になっています。10月頃は、屋外でくつろぐのにちょうどよい気候ですけれど、蚊が多いのには参りました。虫除けに時々香木を焚いても、外だからあまり効きません。デリーなどで蚊を媒介とするデング熱が流行しているという情報もあり、本当はあまり刺されたくないのですが、この場所では防ぎようがありません。しかし蚊の悩みを除けば、2階のベランダは実に快適で、日本では見かけない種類の小鳥の姿も楽しめます。

 私がここに滞在するときは、以前から、1階の奥にある小部屋に寝泊まりさせていただいています。庭に面していて心が落ち着くので、私はすごく気に入っています。親近行の実修は、その隣の少し広い部屋で行なうことになりました。そこの壁にある棚に、本尊の小さな仏画を安置します。これは私が持参したもので、今回リンポチェが開眼してくださいました。その向かって左に、トルマ供養のトルマを置きます。向かって右には、我生起と眼前生起の供物を並べます。漱口水・洗足水・塗香・華・焼香・灯明・飯食の七供で、その飯食もトルマの形です。七供の中の焼香や灯明は実際に点火せず、その代わり、本尊の前に別のバター灯明と香炉を置いて火をつけます。窓をはさんで反対側にベッドと経机を置き、それを親近行の座とします。経机の上には、ダマル太鼓、金剛鈴、金剛杵、内供養器、念珠などを置き、その手前に成就法の儀軌を広げます。ダマルなどの法具類は、基本的に自分専用のものを用いるべきなので、いずれも日本から持参しました。自分が座る位置には、右遶の卍を紙に書いて貼り付けます。その上に、座具を敷いて座ります。卍は堅固さの象徴で、今回の親近行を結願まで一貫してその場所で修行するという意味です。

道場;シェーラプ師撮影

 この部屋は親近行の道場となるわけですから、結願までの間、無関係な人を入れてはいけません。一日三座の行の最中は、誰とも口を利くことが許されません。少し休憩して、お茶や少量の菓子などを口にすることはできます。用便にも行けますが、念珠は必ず経机に置いて、戻るとき手をよく洗う必要があります(これは、日本人だったら当たり前ですけれど・・・笑)。また、初日から結願までの間、外出はできません。この点には色々な考え方がありますが、今回は短い日数で集中して修行するやり方なので、ラダンの敷地から一歩も出ないことに決めました。


 というわけで、10月6日の夜から外出不可能になるため、それまでに外での用事は済ませておかなければいけません。日用品の買い物などは、ロセルリン学堂やゴマン学堂の購売部が近くに何箇所かあり、簡単にできます。そうした雑用を終えてから、私はロセルリン学堂の新本堂へ参拝に行きました。このお堂は、チャンパ・リンポチェが建立総監をお務めになり、まさに心血を注いで努力された賜物です。2007年に完成し、翌年1月、ダライ・ラマ法王が落慶記念のヤマーンタカ大灌頂を厳修なさっています(そのときは、私もポタラ・カレッジ参拝団の一員として、受法させていただきました)。

ロセルリン新本堂

 このロセルリン新本堂は、亡命チベット人社会に再建された僧院建築の中で、最も巨大な規模だと思います。そうでありながら、細部に渡って素晴らしい荘厳が施され、チャンパ・リンポチェのセンスが隅々までゆき届いているという印象です。本堂の内陣中央には、お釈迦様の大きな仏像が安置され、その手前に宗祖ツォンカパ大師とギェルツァプ大師とケートゥプ大師の尊像があります(ここをクリックすると、ロセルリン学堂公式サイトの写真が別ウィンドウで開きます)。両側には、ジャムヤン・ガワェー・ロトゥー、パンチェン・スーナム・タクパ、先代リン・リンポチェなど、ロセルリン学堂ゆかりの偉大なラマたちの尊像が安置されています。内陣の右奥が、護法堂です。そこには、ヤマーンタカやマハーカーラなどがお祀りされています。私は、本尊ヤマーンタカの前で何度も五体投地をして、親近行が無事に結願できるようにお祈りしました(新本堂は、正面の扉が閉まっていても、右奥にある護法堂入口から入って参拝できる場合があります)。

 ロセルリン新本堂へお参りした帰途に、第百世ガンデン座主ロサン・ニマ猊下のラダンを訪ねました。猊下は、新本堂が落慶して間もなく、2008年9月に示寂なさっています。その御自坊は今も、チャンパ・リンポチェのラダンからデプン寺の中心街へ出てすぐのところにあります。第百世猊下は、1999年と2003年に来日され、ポタラ・カレッジでグヒヤサマージャやチャクラサンヴァラの大灌頂などを厳修なさっています。その二度めの御来日に随行したトゥプテン・ロデン師から、今年の5月頃、私にEメールで「ポタラ・カレッジでの百世猊下の御法話や伝授の録音を入手したい」という依頼がありました。生前の御法話などを集め、猊下の全集を作りたいとのことです。そこで私は、主な御法話・伝授の録音データを入れたUSBメモリを、今回持参してきました。でも、彼が現在ロセルリン学堂のどこに居るか分からないし、今回訪問する予定も伝えていなかったので、会えるかどうか全然分かりません。いずれにせよ、百世猊下のラダンへ行けば、何かの手がかりがあるだろう・・・というぐらいの気持ちで、入口の門をくぐりました。すると、まるで私が今来ることを知っていたかのように、トゥプテン・ロデンさんが笑顔で迎えてくれたのです。とても不思議な気分でした。それはともかく、百世猊下のお声は多少聞き取りにくく、ポタラ・カレッジでも通訳のクンチョック先生が随分苦労していました。それだけに、猊下のお声を聞き慣れたトゥプテン・ロデンさんが書き取って全集にまとめることができれば、本当に貴重なものとなるでしょう。「本が出たら、必ず知らせてください」と念を押して、ラダンを後にしました。チベット人社会のことですから、いつ出版されるかは分かりませんけれど、大いに期待すべき内容である点は間違いありません。


 そうこうしているうちに、親近行に入る10月6日を迎えました。だんだん「本当に出来るだろうか」という不安が頭をもたげてきます。とりわけ、最初に修法するゲクトルは、慣れていないから心配です。それで、チャンパ・リンポチェに何度も所作をお尋ねしたり、シェーラプさんに「緊張していて食事が喉を通らない」などと泣き言をいうものだから、リンポチェたちは苦笑するばかりです。

 夕食を控えめにとって、午後6時に道場へ入り、いよいよゲクトルの修法です。リンポチェも法衣に着替え、2階から降りて来てくださいました。私の横で儀軌を一緒に読誦し、所作を指導してくださるというので、ひと安心です。リンポチェが椅子に着座なさってから、まずリンポチェに五体投地をし、次に本尊に五体投地をします。この順序は、絶対に逆であってはいけません。密教では、ラマこそが真の本尊です。眼前に勧請する本尊なども、全てラマから流出して化作されたものと考えるべきです。このように尊いラマを心に念じつつ五体投地をしてから、普通のケースなら、自分一人で修行を始めるのです。今は、実際にそのラマのもとで、一緒に修行を始めることができる・・・。この得難い幸せを心から実感したとき、今までの不安感は完全に払拭されました。

 ゲクトルbgegs gtorとは、簡単に言えば、魔封じの修法です。灌頂の冒頭で阿闍梨が必ず修法なさるので、受法したことのある方ならば、大体イメージできるでしょう。目に見えない魔神や餓鬼などの霊障を道場から一掃するため、まずトルマを施して外へ誘導し、それでも出て行かなければ調伏して追い払います。その後で、道場を結界し、再び侵入できないようにするのです。

ゲクトル

 写真の手前にあるのは、ゲクトルに用いるトルマと灯明です。ポタラ・カレッジでは、蝋燭で代用していますが、本来はこのように、トルマと同じ材料で作ったバター灯明を用います。印の結び方やトルマの皿の持ち方なども、灌頂の場合とほとんど同じです。魔を追い払う時点で、トルマを外へ出します。道場の外には、地母神らへの供養も捧げます(写真の奥のトルマ。修法前に外へ置く)。リンポチェに指導していただいたお蔭で、ゲクトルの修法は、思いのほか簡単に終えることができました。

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