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チベット仏教との御縁4

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デプン寺でグヒヤサマージャを学ぶ

 2006年の前半で、私は『智慧者の魅惑』の究竟次第解説の和訳を終えました。それで、チャンパ・リンポチェから御指導を受けるためにどうすればよいか思案しましたが、まとまった時間を確保するには、こちらがリンポチェのもとへ出向くしかありません。それで同年の夏、私は南インドの大本山デプン寺ロセルリン学堂を訪れ、リンポチェの御自坊で教えを受けることになりました。

 このときは、「グヒヤサマージャ」聖者流の究竟次第を中心としながら、かなり広範な内容を学びました。基本的には『智慧者の魅惑』をベースにして、『悉地大海』や『五次第明灯』の内容を吟味し、『持金剛上師の口伝』や『真義を明かす太陽』、及びアク・シェーラプ・ギャツォ師の「生起次第解説」などを参照しつつ、私から質問をお伺いしながら要点を解説していただきました。それに加えて、「生起次第成就法広本」の阿含相伝(ルン)を授かり、親近行(ニェンパ)や護摩法についても教わりました。

 また、究竟次第に関しては、儀軌に沿って詳しく解説していただき、私から質問もお伺いしました。幻身や九和合については、儀軌に詳しく出ていないため、ツォンカパ大師の『グヒヤサマージャ秘訣伝授手鑑』をもとに教わりました。そのお蔭で、聖者流究竟次第の本当の実践内容について、放逸で鈍根の私でも、それなりに理解を深めることができました。この一点だけを考えても、リンポチェからいただいた御恩は、計り知れないほど大きなものです。それに少しでも報いるには、教わった内容をまじめに修行するしかありません。そして、夢にも慢心を抱くことなく、自分なりの利他行を追求してゆかなければなりません。

 ある日、チャンパ・リンポチェは、建立中のロセルリン新本堂を案内してくださいました。五階建ての巨大な本堂は、既にその全容が完成していて、あとは内装工事や細部の荘厳と彩色が残っている段階です。リンポチェが「屋根の荘厳などに用いる金色の塗料は、日本製のものが色褪せしなくて理想的だ」とおっしゃるので、現物をポタラ・カレッジからお布施することにしました。新本堂は、2007年中に完成し、翌年の初めに落慶法要を厳修するといいます。僧院長のところへ御挨拶にあがったとき、「落慶法要と、それに伴うダライ・ラマ法王の灌頂や講伝には、ポタラ・カレッジの皆さんで参拝に来てください」と、お招きのお言葉を頂戴しました。

ヴァジュラヨーギニーの成就法伝授

 私がチャンパ・リンポチェのもとを訪れたとき、ゲシェー・ソナム師からの手紙を持参してポタラ・カレッジでの密教伝授をお願いしたため、リンポチェは2007年の2月に、五度めの来日をなさってくださいました。このときは、「ヤマーンタカ十三尊」の大灌頂や、「ヴァジュラヨーギニー」の加持灌頂を授けていただきました。「ヴァジュラヨーギニー」の成就法伝授では、広作法の詳しい解説がありました。これは、2000年の成就法伝授を補完する教えにもなったと思います。そのほかには、所作タントラに基づく四臂観自在の許可灌頂や、無上瑜伽タントラに基づく緑ターラーの灌頂、無量寿の長寿灌頂を授けていただきました。

 2007年の秋には、ポタラ・カレッジでチャト・リンポチェをお招きし、「タディン・ヤンサン(馬頭観音)」の大灌頂と成就法伝授をなさっていただきました。これは、ニンマ派の法流に属する教えで、マハーヨーガ成就部の八大本尊の一つに数えられます。チャト・リンポチェの出身僧院であるセラ寺チェーパ学堂の守護尊としても、よく知られています。そのほかには、所作タントラに基づく薬師如来の灌頂や、無上瑜伽タントラに基づく金剛薩埵父母尊の許可灌頂を授けていただきました。

ロセルリン新本堂の落慶式

 2008年1月、大本山デプン寺ロセルリン学堂の新本堂落慶法要に参列し、それに伴うダライ・ラマ法王の灌頂と講伝を受法するため、ポタラ・カレッジでは、ゲシェー・ソナム師をはじめとする役員と会員で参拝団を結成し、現地を訪れました。デプン寺では、盛りだくさんの行事が組まれています。最初は、デプン寺の総本堂を会場に、護法尊ペルデン・ラモの許可灌頂や、法王の長寿祈願法要などが厳修されました。それから会場をロセルリン新本堂へ移し、落慶法要、「ヤマーンタカ十三尊」の大灌頂、般若学の講伝・・・という順に実施されました。講伝は、弥勒菩薩の『現観荘厳論』とハリバドラの『義明註』、及びパンチェン・スーナム・タクパの『般若学総義』という三本の典籍を併読しながら、阿含相伝に要点解説を交える形で進められました。

 私たちは落慶法要に先だち、チャンパ・リンポチェの案内で、新本堂の内部をゆっくり拝観させていただきました。亡命チベット人社会に再建された僧院建築の中でも、最大規模の威容を誇るこの新本堂は、細部にわたって素晴らしく美しい荘厳が施されています。チャンパ・リンポチェのセンスが隅々にまでゆき届いていて、巨大さを忘れるほどの繊細さと気高さが感じられました。本堂内陣の中央には大きな釈迦牟尼仏が鎮座し、その手前に宗祖ツォンカパ大師とギェルツァプ大師とケートゥプ大師の尊像が安置されています。両側には、パンチェン・スーナム・タクパや先代リン・リンポチェなど、ロセルリン学堂ゆかりのラマたちの尊像があります。特に、先代リン・リンポチェ像は、直弟子であるチャンパ・リンポチェの助言どおりに、生前のお姿を忠実に再現して製作されたものです。右奥の護法堂には、本尊のヤマーンタカ十三尊と、護法尊の上首たる四臂マハーカーラなどが安置されています。

ロセルリン新本堂

 ところで、南インドの三大本山の各学堂では、最近相次いでこうした巨大な本堂を建立しています。なぜかといえば、仏教の学修が不自由なチベット本土から、今でも毎年大勢の僧侶や出家希望の若者たちが亡命し、三大本山へ殺到しているからです。こうした特殊事情により、僧侶の人数は爆発的に増加し、僧院や亡命チベット人社会の自助努力で支えきれる限度を遥かに越えています。そのため各学堂では、海外の信者や施主たちに支援をお願いし、増え続ける僧侶を収容できる巨大な本堂を建立しているのです。本堂がいくら立派だからといって、僧侶たちの生活が楽なわけではありません。慣れない南インドの気候に耐え、狭い僧坊で大勢が寝食を共にしながら、質素な衣食に満足して、チベット仏教の伝統を守り抜くために修行生活を続けているのです。巨大な本堂だけを見て「贅沢だ」などと批判するのは、そのような本堂が必要となった止むに止まれぬ事情を考えない、軽率で無責任な物言いだと思います。

 私たちは、ロセルリン学堂の中でもポタラ・カレッジと御縁の深いコヲ・カンツェンの僧坊に宿泊し、僧侶たちの生活の一端を垣間見ながら毎日を過ごしました。そして、ロチュー・リンポチェの御自坊で白文殊の許可灌頂を授かったり、仏教論理大学学長のゲシェー・タムチュー・ギェルツェン師から般若学の補講を受けたり、第百世ガンデン座主やリゾン・リンポチェと謁見するなど、ポタラ・カレッジ参拝団ならではの有意義な経験を積みました。

『五次第一座円満』の伝授

 2008年の夏、私は再び南インドのデプン寺を訪れました。これは、二年前の夏にチャンパ・リンポチェから「グヒヤサマージャ」二次第の教えを受けた続きです。前回は『智慧者の魅惑』を主なテキストとしたので、究竟次第に関しては、『五次第明灯』系の内容を中心に学んだことになります。ツォンカパ大師は、『明灯』を著述なさった後、より実践的な『五次第一座円満の直伝』をお説きになっています。これは、「グヒヤサマージャ」究竟次第の事相の秘訣をまとめたものです。ただ、実践の裏づけとなる理論の解説は、多くを『明灯』に譲っているので、『一座円満』だけを学んでも十分ではありません。

 私が二年前に教わった究竟次第の実践的な行法は、明らかに『一座円満』に基づいています。それで私は、『一座円満』を徹底的に学修する必要性を感じ、以来何度かチャンパ・リンポチェに伝授をお願いしていました。リンポチェは快く受け入れてくださいましたが、今回再びお目にかかってみると、ロセルリン新本堂建立総監の重責を果たされた後で、お疲れの御様子が見て取れます。もう御高齢だし、前からの持病もあるので、御無理は禁物です。そのあたりの事情をよく考え、今回の伝授は『一座円満』だけに的を絞り、毎日少しづつ進むようにしました。

 伝授は、リンポチェの御自坊の小部屋で行なわれます。まず私が五体投地の礼拝をしてから、曼荼羅供、三帰発心などを誦えます。そして、リンポチェから『一座円満』の阿含相伝を授かります。要所要所では、解説を交えてくださいます。その日の分の阿含相伝が終わったら、私から質問をお伺いしたり、リンポチェから要点をまとめて解説していただいたりします。一日の伝授は、大体一時間半程度です。

 私からリンポチェへお伺いする質問は、よく吟味して厳選する必要があります。例えば、テキストの文法解釈上の問題とか、「ある言葉が何を指しているか」という問題などは、リンポチェにお伺いしても、お疲れを増大させるばかりです。もちろん、こうした点にも、疑問はたくさんあります。しかしそれらは、関連する解説書や註釈書を幾つも対照しているうちに、いずれ解決するケースが大半です。自分の努力で文献から理解できることについて、わざわざリンポチェを煩わし、貴重な伝授の時間を費しても、私の自己満足にしかなりません。

 では、どうしてもリンポチェにお伺いすべき質問とは、一体どのようなものでしょうか。それは、テキストの各々の箇所で、実際にどういう修行をするのかという、その具体的な中身です。つまり、その行法に堪能なラマからしか聞けず、またそのようなラマであれば、何か典籍を参照したりせずとも、御自身の体験に基づいて答えられる内容です。こうした質問ならば、それほどリンポチェの御負担にはなりません。一方私は、「瑜伽行者の精神集中した心が何を体験しているのか」という、その内面の世界をラマのお口から聞けるのです。こればかりは、いくらテキストを精読しても、文献だけでは会得できない境界です。

 ただ、そうした口伝を聴聞するにしても、テキストの言葉のうえでの理解が不可欠なのは、言うまでもありません。それが無ければ、口頭伝授というコミュニケーションの成立する共通の土俵に上がれないからです。ツォンカパ大師は『ガクリム・チェンモ』第十一品で、「秘訣とは、諸々の根本タントラの意味を釈タントラに従って不顛倒に解釈したそのことを、弟子の心相続に於て容易に生起させる方便のことをいう」と定義づけています。「ラマの口伝によって知る」という在り方も、そのように理解すべきで、「タントラや諸典籍に説かれていない究極の教えを、師資相承で伝える」という意味ではありません。ツォンカパ大師は、偉大な聖典と別なところに秘訣を求める態度を、「毒の如くに捨て去るべき」と極めて強く戒めていらっしゃいます。

 今回の伝授では、質疑のやりとりを繰り返して、例えば金剛念誦の実際の行法をどう修習するのかなど、具体的な中身が見えてきました。特に、私自身のように主として生起次第を修習すべき初心の行者が、信解作意で究竟次第を行じる場合のやり方について、明らかにすることができたと思います。密教では、灌頂や伝授の師資相承など、形式的な要件が必要不可欠です。もちろんそれは非常に大切なことですが、それだけで満足してはいけません。真の偉大なラマたちは、教えの中身を本当に理解して実践することを、弟子に強く期待していらっしゃいます。このことは、例えばチャンパ・リンポチェやリゾン・リンポチェの御説法などを拝聴すれば、お言葉の端々から感じ取れるでしょう。

第百世ガンデン座主の示寂

 私が帰国してから間もなく、第百世ガンデン座主ロサン・ニマ猊下の訃報が届きました。1月の団体参拝旅行の際に拝謁したときには、弟子の業に合わせて衰弱の相をお見せになりながら、お心は楽空無差別の三昧(大楽によって空性を直観了解する深い瞑想状態)に住していらっしゃる御様子が伺えました。そう遠くない時期を選んで入涅槃の理趣をお示しになるという猊下の密意が感じられ、誰もが訃報に接する覚悟はできていたと思います。ポタラ・カレッジでは、大恩ある偉大なラマの遺徳を偲び、2008年9月28日に上師供養の法要を厳修しました。

 この第百世ガンデン座主が正真正銘の偉大な密教行者だったことは、御示寂の後に発生した現象によっても再確認されました。チベット語で「トゥクタム」といい、心臓が停止して医学的に完全に死亡と診断された後も、体温が保持されて遺体が腐敗しない現象です。「グヒヤサマージャ」など無上瑜伽タントラの究竟次第に熟練した密教行者が、臨終の過程を利用して深層の微細な身心に働きかけ、「光明」という極限の意識が空性を直観的に覚っているとき、外面的にはそうした現象が発生するといいます。この光明の状態から微細な風(ルン)を幻身として立ち上げれば、中有を仏陀の報身に転化することができます。「グヒヤサマージャ」の行法の中でも、究極の秘法です。第百世ガンデン座主は、十八日もの長い間、この光明の状態に留まったといいます。

 臨終にあたってこれを意図的に実践できるのは、当然のことながら、生前にそれと同じ流れの修行を徹底的に積んできた密教行者に限られます。チベット仏教の世界では、昔はもちろんのこと、現代でもそうした事例がときどき報告されています。有名なのは、先代リン・リンポチェのケースです。しかし今回の第百世ガンデン座主の場合は、インドや欧米の医師と科学者たちが大勢立会い、この現象を直接観察している点で、特筆すべきケースだといえます。

チベット仏教普及協会設立十周年

 2008年秋に、チベット仏教普及協会(ポタラ・カレッジ)は、設立十周年を迎えました。非常に小規模な団体ながら、仏教をまじめに勉強して実践するという地道な活動に徹し、何とか十年間存続することができました。これもひとえに、会員や受講者の方々の献身的な御協力のお蔭です。

 この設立十周年にあたって、ゲルク派副管長のチャンツェ法主リゾン・リンポチェ猊下を再び招聘し、記念法要を厳修するとともに、「チャクラサンヴァラ」ガンターパ流五尊の大灌頂と成就法伝授をなさっていただきました。第百世ガンデン座主とリゾン・リンポチェのお二人は、まさに現代のゲルク派を代表する最も偉大なラマです。そのお二人が、ともに「グヒヤサマージャ」と「チャクラサンヴァラ」というゲルク派密教の両大法をポタラ・カレッジで授けてくださったのは、まさしく夢のように素晴らしい出来事です。

 設立十周年に合わせた一連の伝授では、「チャクラサンヴァラ」のほかに、ツォンカパ大師の御自伝「トクジュー・ドゥンレクマ」の解説、忿怒金剛手タクポ・スムディルの許可灌頂、護法尊ペルデン・ラモの許可灌頂、無量寿の長寿灌頂などを授けていただきました。

 2009年5月、ロセルリン学堂の僧院長職を前年に退かれたゲシェー・ロサン・ギャツォ猊下が再び御来日なさり、ポタラ・カレッジでナーガールジュナ(龍樹)の『中論』とヴァスバンドゥ(世親)の『倶舎論』の講伝を授けてくださいました。前者は中観派の根本聖典、後者は通仏教的な阿毘達磨の根本聖典として、日本でもよく知られています。

 2009年秋、リゾン・リンポチェは、第百二世ガンデン座主として正式に晋山されました。近いうちに再び、ポタラ・カレッジで貴重な仏法を授けてくださる機会が実現しますよう、心からお祈りしたいと思います。

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 「私とチベット仏教の御縁」という趣旨で、長々とまとまりのない文章を書いてきましたが、最後まで辛抱してお付き合いくださった方には、心より感謝いたします。私自身に関することは、どうでもよいつまらない話です。しかし、ここに登場したラマたちは、今日のチベット仏教界を代表する偉大な指導者ばかりです。そうしたラマたちに関する話題などが、読んでくださった方々のお役にち、何らかの善い御縁のきっかけとなれば、この駄文を綴った意味もあるというものです。

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