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チベット仏教との御縁2

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般若学と中観学

 『実践・チベット仏教入門』の次の企画として、チベット語訳『般若心経』をテーマとする本を作ろうという構想が、私たちと出版社側とで早くから持ち上がっていました。それを具体化させるため、1997年頃から、私たちは執筆準備に取りかかりました。ところが、ディスカッションを重ねるうちに、話がどんどん大きくなってしまいます。

 御存じのように、『般若心経』は、『大般若経』の膨大な内容を凝縮して説き示した経典です。チベット語訳の場合、大部の「般若経」としては、『十万頌般若』、『二万五千頌般若』、『八千頌般若』の三者が代表的です。いずれにせよ、こうした「般若経」は、チベット仏教の顕教面での最重要経典と位置づけられます。僧院教育の中心課題となる「般若学」と「中観学」は、「般若経」の隠れた意味と明らかな意味を徹底検証するものです。ならば今回の企画では、単に『般若心経』をチベットの伝統教学によって解釈するだけでなく、それと結びつける形で「中観学」と「般若学」の要点を整理し、さらに密教との関連まで言及したらどうだろうか・・。そんな途方もなく大変な話に、構想がエスカレートしてしまったのです。

 そこで私は、「どんなに時間をかけても、般若学と中観学の内容を、徹底的に学び直そう」と考え、ゲシェー・ソナム先生とクンチョック先生に質問をぶつけながら、インド撰述の論書、ツォンカパ大師の著作、さらに後世のゲルク派学僧による解説などを読み込んでゆきました。この勉強を通じて、私が一番重要だと考えたのは、勝義と世俗の二諦論です。その正しい設定ができない限り、「般若経」の理解は成立しません。まず仏教論理学の基本として、十方三世のあらゆる存在は、「量(正しい認識)によって知られるもの」と定義されます。そのうえで、「正理知の量(実体性を追求する智慧)によって得られるもの」は勝義諦、「言説の量(日常の正しい認識)によって得られるもの」は世俗諦となります。このように二諦を設定し、止観の瞑想の仕組みを知ることにより、「般若経」の隠れた意味と明らかな意味、さらに密教までも見渡す実践的な視点が得られるのです。

 話は変わりますが、1997年12月、ニンマ派大本山ゾクチェン寺の高僧ケンチェン・ペーマ・ツェワン猊下が来日され、チベットハウスの主催でプルパの灌頂を実施しました。私はニンマ派の教えについて不勉強でしたが、大長老による大変貴重な伝授の機会だったので、受者の末席に加わらせていただきました。

チベット仏教普及協会の設立

 ソナム、クンチョック両先生と私は、日本国内でチベット仏教を本格的に学び実践できる体制を、何らかの形で立ち上げたいと念願していました。それがいよいよ、1998年に実現したのです。私たち三人は、チベット仏教普及協会(愛称:ポタラ・カレッジ)を設立し、同年9月から正式に活動を開始しました。チベット亡命政府の枠組みから離れ、純然たる民間の宗教団体として、仏教の学修とそれに付随する文化活動に専念できる態勢が整ったのです。

 チベット仏教普及協会は、ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ師が会長(主任講師兼務)、クンチョック・シタル師が副会長(主任講師兼務)、そして私が事務局長(講師兼務)を務めるという、役員三名の態勢でスタートしました(後に、ソナム師の実弟ガワン・ウースン・ゴンタ師が専任講師として加わり、四名の態勢となっています)。実際の諸活動は、設立当初から今日に至るまで、会員・受講者の方々の献身的なボランティアによって支えられています。本拠地となる東京センターを千代田区神田須田町に置き、他に京都教室などでも活動を行なっています(一時は、静岡センター、名古屋教室、大阪教室、広島教室も開設)。

 同協会の設立にあたっては、キャプジェ・デンマ・ロチュー・リンポチェ猊下(ナムギェル寺元僧院長)、ゲシェー・タムチュー・ギェルツェン師(仏教論理大学学長)、宮坂宥勝先生(名古屋大学名誉教授)、吉田宏晳先生(大正大学名誉教授)に、宗教・学術顧問への就任をお願いして御快諾いただきました。また、牧野聖修衆議院議員(チベット問題を考える議員連盟会長)とカルマ・ゲレク・ユトク師(ダライ・ラマ法王駐日代表;当時)に、顧問への就任をお願いして御快諾いただきました。

 1998年9月10日、折りしも来日中だったロチュー・リンポチェを東京センターへお招きし、設立記念の「結縁御法話」を授けていただきました。同年11月3日には、宮坂先生、吉田先生、牧野先生、カルマ・ゲレク師の御臨席を賜わり、東京センターにて「設立記念法要」を厳修しました。

大阿闍梨チャンパ・リンポチェとの出会い

 翌1999年5月、大本山デプン寺ロセルリン学堂のチベット密教芸術団を招聘し、「ポタラ・カレッジ チベット密教芸術祭」を東京や静岡で開催しました。これは、同学堂所属の青年僧侶八人によって、声明や仮面舞踊の公演、砂曼荼羅の建立などを実施する行事です。この密教芸術団の監督として来日なさったのが、大阿闍梨チャンパ・リンポチェです。

チャンパ・リンポチェ;京都随心院にて、ポタラ・カレッジ会員撮影

 チャンパ・リンポチェは、ダライ・ラマ法王の恩師にあたる先代リン・リンポチェ猊下に長年お仕えし、その薫陶を受けながら密教を徹底的に修行なさり、とりわけ事相の面に精通していらっしゃる大阿闍梨です。「チャンパ」とは、チベット語で慈しみを意味します。そのお名前のとおり、慈悲にあふれた利他行の実践者として、チベット人社会でよく知られています。南インドのムンゴット入植地で、デプン寺の再建に当初から尽力され、若い僧侶たちの指導にあたる一方、密教の修法で多くの開拓民を救ってこられたといいます。

 「チベット密教芸術祭」の一環として、チャンパ・リンポチェには、立正大学の石橋湛山記念講堂で、『般若心経』の御法話をなさっていただきました。またポタラ・カレッジ東京センターで、「ヤマーンタカ十三尊」の大灌頂などを授けていただきました。ポタラ・カレッジの主催による無上瑜伽タントラの大灌頂は、これが最初になります。

 この時点で私は、チャンパ・リンポチェのことを、「密教の修法に精通した事相の大家」と認識していました。そこで、一連の行事が終了した後、手印の結び方や成就法の所作などの撮影をお願いし、リンポチェも私の期待に十分応えてくださいました。確かにリンポチェは、供養の供え方や印明の結誦法など、外面的な事相に大変お詳しいラマです。しかし本当は、そのようなレベルを遥かに越え、無上瑜伽タントラの究竟次第の行法に熟練なさっている点こそ、リンポチェの真の偉大さなのです。当時の私は、この点をまだ全然見抜くことができませんでした。
 
 後に私は、チャンパ・リンポチェから「グヒヤサマージャ」の生起次第と究竟次第を個人的に学ぶことになります。その点で、私の四人の根本ラマの中でも、チャンパ・リンポチェが一番身近な恩師だといえます。ともすると理論先行で頭でっかちになりがちな私にとっては、リンポチェのような実践面に熟達した指導者が、特に必要だったのかもしれません。

グヒヤサマージャの大灌頂

 ツォンカパ大師によって確立されたゲルク派の密教体系では、「グヒヤサマージャ(秘密集会)」の聖者流が、あらゆる仏法の頂点に位置づけられています。それには明確な理由があり、簡単に言うと、この流儀こそが幻身の成就に最も効果的な行法を提示しているからです。そのようなわけで、「ゲルク派密教の道へ入ったからには、いつか必ずグヒヤサマージャの大灌頂を受法し、その生起次第と究竟次第を学修したい」と、私は以前から非常に強く念願しておりました。

 1999年11月、それがようやく現実のものとなりました。当時のゲルク派管長である第百世ガンデン座主ロサン・ニマ猊下をポタラ・カレッジでお招きし、「グヒヤサマージャ聖者流」の大灌頂を授けていただくことになったのです。チベット人社会の民間伝承では、「第百世ガンデン座主には、ツォンカパ大師御本人がおなりになる」といわれています。それはともかく、ロサン・ニマ猊下は顕密二教に通暁した偉大な高僧で、特に「グヒヤサマージャ」の行法には確固たる自信をお持ちになっていたように見受けられます。今の時代に考えられる最高のラマから「グヒヤサマージャ」の大灌頂を受法できるのは、ゲルク派密教の修行者としてこれ以上望めない幸せです。

 このとき第百世ガンデン座主には、「グヒヤサマージャ」の大灌頂のほかに、密教の灌頂と切り離した形での三帰依戒と菩薩戒の授与、文殊菩薩の許可灌頂、ツォンカパ大師の結縁長寿灌頂、パンチェン・ラマ一世『上師供養儀軌・楽空無差別』の講伝などもなさっていただきました。それらの行事が終わってから、私は個人的に「グヒヤサマージャ聖者流成就法」の伝授をお願いし、微細瑜伽の行法などを御指導をいただきました。短い時間でしたが、生起次第の深遠な奥義に触れられた感動は、今でも鮮明に覚えています。この経験から、無上瑜伽タントラの大灌頂を行なうときは、できるだけその本尊の成就法伝授もセットで実施する・・というポタラ・カレッジの方向性が確立されたのです。

ヴァジュラヨーギニーの加持灌頂

 2000年の11月から12月にかけて、大阿闍梨チャンパ・リンポチェを再びポタラ・カレッジでお招きし、「ヴァジュラヨーギニー(金剛瑜伽女)」の加持灌頂と成就法伝授をなさっていただきました。ゲルク派の密教体系で、「グヒヤサマージャ」の次に重要な教えは、「チャクラサンヴァラ」です。その本尊の明妃であるヴァジュラヴァーラーヒー(金剛亥母)を一尊法として修行するのが、このとき授けていただいた「ヴァジュラヨーギニー」です。

 これは、チャンパ・リンポチェが最も得意となさっている行法の一つであり、成就法の座中に究竟次第も実践できる点が特色となっています。加持灌頂と成就法伝授では、その行法を知り尽くしたラマならではの素晴らしい指導が行なわれ、極めて高度な実践の秘訣が次々と説き示されました。一連の行事が無事に終わったときには、「日本でも、このような最高レベルの密教の伝授を実現できた」という感慨がこみあげ、主催者の一員として、また一人の受者として、心からリンポチェに感謝して随喜を捧げました。

 このときの御来日でチャンパ・リンポチェは、「ヴァジュラヨーギニー」のほかに、無上瑜伽タントラに基づく緑ターラーの灌頂や、所作タントラに基づく金剛手菩薩の許可灌頂と成就法の口伝などを、ポタラ・カレッジ東京センターで授けてくださいました。また、京都の山科にある真言宗善通寺派大本山随心院を会場に、「ヤマーンタカ十三尊」の大灌頂と成就法伝授をなさっていただきました。それに続けて、同じ随心院を会場に、南山事教研修会の主催で、真言宗と天台宗の僧侶の方々を対象とする不動明王の許可灌頂と成就法伝授も行なっていただきました。

グヒヤサマージャの成就法伝授

 2001年5月、ポタラ・カレッジでは、当時のゲルク派副管長であるチャンツェ法主リゾン・リンポチェ猊下(現、第百二世ガンデン座主)を招聘しました。リゾン・リンポチェは、ダライ・ラマ法王が絶大な信頼を寄せていらっしゃる戒律堅固な高僧です。極めて厳格な指導者として有名ですが、その厳しさはまずもって御自身へ向けられ、一晩中禅定の座法を維持して「睡眠の瑜伽」を修行なさっているといいます。これは、無上瑜伽タントラの行法の一種で、睡眠を光明に和合させ、夢を幻身に和合させる非常に高度な実践です。

 今回の伝授では、まず「グヒヤサマージャ聖者流」の大灌頂を、三日間かけて丁寧に授けていただきました。成就法の伝授では、ツォンカパ大師の『清浄瑜伽次第』をベースに、ギュメー寺に伝わる流儀に沿って詳細な解説を与えていただきました。ゲルク派密教の修行者にとって最も重要な「グヒヤサマージャ」の行法を、一点の妥協も許さぬ厳しいラマから習うことができたのは、極めて得難い貴重な体験だったと思います。

 このときの御来日では、「グヒヤサマージャ」のほかに、所作タントラに基づく十一面千手観自在の大灌頂や、無上瑜伽タントラに基づく金剛薩埵父母尊の許可灌頂、無量寿の長寿灌頂なども授けていただきました。密教の修行の厳しさと、それに本気で取り組んでこそ得られる真の喜びを、リゾン・リンポチェは身をもって教えてくださったのです。

ダライ・ラマ法王の『ガクリム・チェンモ』講伝

 前にも述べましたが、ゲルク派の総本山ガンデン寺は、デプン寺と同じ南インドのムンゴットに再建されています。そのチャンツェ学堂で新しい本堂が建立され、2001年の暮から翌年正月にかけて、ダライ・ラマ法王による落慶記念の大講伝が行なわれることになりました。テーマは、ツォンカパ大師の密教の主著『ガクリム・チェンモ(真言道次第広論)』です。しかも、それを聴聞する器となるために、四部タントラの灌頂を一度に授けてくださるというのです。ポタラ・カレッジでは、ゲシェー・ソナム師をはじめとする役員と会員で参拝団を結成し、またとない貴重な伝授を受法することにしました。私は、法王と謁見した経験はありますが、教えを受けるのは今回が初めてです。大勢の僧侶たちの末席に加わったにすぎませんが、それでも正式に伝授を受けた事実に変わりはありません。

 伝授の日程の冒頭に、四部タントラの灌頂があります。まず最初は、所作タントラの「釈迦牟尼三三昧耶荘厳」です。続いて、行タントラの「大日現等覚」と、瑜伽タントラの「金剛界」の灌頂を順に授かりました。この二つは、日本密教の金胎両部の伝法灌頂と同格のものです。その次に、無上瑜伽タントラの「ヤマーンタカ十三尊」の大灌頂を授かり、四部タントラの灌頂をすべて受法したことになります。そのうえで、『ガクリム・チェンモ』の本格的な講伝が行なわれました。これは大部の著作なので、阿含の相伝(ルン)だけでも多くの日数を要しますが、重要箇所の解説とともに、最後の「仏果」の科範まで無事に受法することができました。

 私たちポタラ・カレッジの参拝団は、伝授の期間中、デプン寺ロセルリン学堂に宿泊しました。そして、第百世ガンデン座主、リゾン・リンポチェ、ロチュー・リンポチェ、チャンパ・リンポチェ、ロセルリン学堂僧院長(当時)などの高僧たちとお目にかかることができました。これらの方々は、いずれもロセルリン学堂の御出身です。チャンツェ学堂の伝授会場では、ガンデン座主やリゾン・リンポチェやロチュー・リンポチェが、法王の宝座のすぐお隣にいらっしゃいます。ダライ・ラマ法王も、こうした長老たちに最大の敬意を払っておられ、その御様子が私たちの席からでもよく分かります。それを見るにつけ、「凄いラマたちから、大変な教えを授かってしまった・・」と実感させられますが、受法したからには一生懸命学修を重ね、ラマたちの御恩に報いなければなりません。

 『ガクリム・チェンモ』の中でも、とりわけ第十二品「生起次第解説」は、非常に充実した内容となっています。灌頂を受けて成就法を本格的に実践するとき、すぐに役にたつ貴重な教誡の数々が、第十二品には満載されているのです。法王の講伝を受けながら、私はこの点を強く実感したので、第十二品を和訳しようと決心しました。翻訳自体は、比較的早く終えたのですが、細かい点で不明の箇所が数多く残った状態です。その後、「グヒヤサマージャ」の勉強などを優先させたため、この件はしばらく放置せざるを得ませんでした。しかし最近になって、第十二品に引用されている「チベット大蔵経」の該当箇所を全部調べあげ、疑問点の大半は解決しました。この成果は、『ガクリム・チェンモ』全十四品の概説とともに、2013年12月に『ツォンカパのチベット密教』というタイトルで大蔵出版から刊行されています(こちらを御覧ください)。


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